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https://bsky.app/profile/itsunandoki.bsky.social/post/3mlo7hj23i22g
『痴漢行為がしたくてたまらない状態はパラフィリアとは言い難いと思う。
パラフィリアは加害衝動そのものを指す言葉ではなくて、行動にすれば否応なく加害になってしまう指向/嗜好のこと』
この「パラフィリア」定義(理解)は正しいとは私は思わない。
パラフィリアは行為衝動も含めた概念だと思うし、
運動論的にも、そうした「切り離し操作」が運動を前進させるとは思わない。
『「パラフィリア差別」が何を指しているのかがわからない』、『私はパラフィリア差別というものの実態がない気がする』と言っている人に対して、嗜好と加害との区別や、実際の加害はパラフィリアでない者が起こしている場合が多い、という指摘をしておくのはまあ正しいが、……。
一番は実際にある現実を見ることだろう。トランスの困りごとが分からない人でも、「被差別実態がない」とか言う前に、実際にシス中心主義やトランス差別を受けている人の話を聞こうとしたりする(するべき)よね。
「パラフィリア」を持つ者について現実的な理解をしていない(偏見的な認識をしている)か、そもそも「差別」というものが何か分かっていないのでは、と思う。(誤った・とても狭い「差別」定義理解をしているとか。)
「あなたのように偏見を持ってしまっている人がたくさんいるということが差別(の結果状況)なんだよー」というのも、あり得る返答の一つかな。
『パラフィリア差別というのはこういう現実を無視して属性そのものへの攻撃や排除のことを指している』
まあ正しいが、具体的ではないのであまりピンとこないだろう。
https://bsky.app/profile/bbiio.bsky.social/post/3mloausa75s2w
『社会にとってペドファイル等への解像度が低いままに、そこを無視してクィアのコミュニティとして連帯と受け取れるように発信することは(この会話を指してるわけではないです)、被害を矮小化したりコミュニティの信頼性を著しく損なわせるようなものだと思う』
https://bsky.app/profile/itsunandoki.bsky.social/post/3mlobvqebw22g
『この認識で被害当事者の目に入る可能性も考えて大々的に運動としてやっていくのは危ういし厳しいと思う。』
例えば、
外国人=犯罪者という偏見は、それ自体が差別(の結果)なのであって、
社会での外国人への解像度が低いままに「外国人差別反対」メッセージを出すのは、外国人による犯罪の被害を矮小化してる!
と思う?
一般社会からコミュニティが「信頼」してもらうために、外国人というイメージの悪いマイノリティとは連帯しないようにしたい!
と思う?
外国人っぽい人から加害を受けて、外国人全員を恐れるようになってしまった人に対して必要なものは、「その人の目に外国人が映らないようにしよう!」ということではなく、恐れる必要がないものを恐れないように変化を手助けしてあげることではないか?(その過程で、ゾーニングをしてあげることはもちろんあり得るだろうけど。)
https://bsky.app/profile/itsunandoki.bsky.social/post/3mlobvqwkus2g
『先の一連の流れでは明らかに当事者の手を離れて「代弁者」が牽引していた』
そうなの?