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遠藤まめたのTLより
活動者の怒りの弊害(罠)、怒りとの付き合い方、みたいな文脈が元だが、
じんとの会話(けむしの活動スタイルの特異さ、怒りが原動力ではない、美の毀損への着目)を参照すると、別の文脈も見えてくるかも。
現状、怒っている人だけが抗議活動していて、他の人(当事者でなく怒れない・怒らない人)のほとんどは無関心で活動していない。そうした現状によって、みな、特定の活動スタイル(怒りと結びついた活動)だけを見て学習している(それしか知らない)。
「皆、抱えた怒りをどうしてる?」みたいな視点ではなく、むしろ怒りのない活動者のほうを観察・学習したほうがいいかも。運動スタイルの幅広さというのは、そこから見えるような気が。
あと、怒りの感覚を「ああいう感じだよね」と共有前提にすることはできないのではないか。何に怒るか、怒りの程度や現象、コントロールしやすさなど、人によって異なるだろう。そこを抜きにして、特定のマネジメント・テクニックを考案してみたり話題にしてみたりすることは誤りだろう。
その勝手に置かれた前提を共有できない者は病視され、議論にさえ含まれない。