檜田相一「日本の社会運動はなぜ老人ばかりなのか」
https://note.com/facies/n/n8aa8a0d96400
大体言わんとすることは分かる、というか通説的なことを言っていると思うが、
前提の、『日本の社会運動は高齢者中心だ』『老人ばかりだ』と言うときに、「社会運動」の範囲をひそかに限定しているのではないか、という疑念もわずかに出てくる。つまり、特定の形の実践のみを「社会運動」と見なし、それ以外の実践を「社会運動」と見なさない(未満と見なす)。(老人ばかりいる)平日昼間のデモ行進を見て「これこそが社会運動だ」と思っている場合、当然、若者が多く参加している(かしれない)他の「運動」は見落とされてしまう。
まあ私も、社会運動参加者に高齢者が多いという前提自体には同意するが、想定パーセンテージまで踏み込めば、そうした暗黙の前提の存在が問題になってくるのではないかと思う。そして、そうした認識自体が、(若者の)運動参入障壁の一端となっているのではないか、とも思う。
行田だめライフ愛好会「社会運動に対する一提案」
https://note.com/damelifegyoda/n/n100e67a0550e
学生運動と労働運動の連携、という提案趣旨は良いと思うが、
けむしは、学生運動と労働者運動の乖離(不連携)というより、運動者の世代間の乖離に根源的問題を見てしまう。「学生」身分以前に、そもそも労働運動(労働組合)は、若年労働者を取り込めていないではないか、という。
いま労働運動で精力的に活動している(後継がいないので、せざるをえない)高齢の運動家たちと、若者との「出会えていなさ」。
それは、学生(学生労働者含む)や(奨学金を返す)大卒労働者だけでなく、高卒で働くような若年労働者とも、出会い損ねていると思う。(けむしはむしろ後者に可能性の芽を見ている。)
そして、「社会運動」に関心がまだない若者だけでなく、労働以外の領域(イシュー)で社会運動を実践している(・したい)若者とも、出会い損ねていると思う。例えば、フェミニズム的・反差別的運動を実践している若者。
そうした根源的問題(「実際の」問題と言っても良い)を差し置いたまま、「学生運動」という言葉と「労働運動」という言葉を隣に並べても、(大いに正しく、メリットのある)その提案は、現場で、「労働組合専従おじさん」と「若者」との〈出会い損ね〉、という問題に直面してしまうだろうと思う。
「私たちが連帯できていないのは誰か?」という問い
『社会や政治について話すことのできるコミュニティを作る。そこでひとりひとりの問題意識を聞き出し、そのひとが考えていることを社会の問題と接続する。』(檜田)
けむしからすれば、重要なのは、(よく分かっている)「俺たち」が作ってあげないとダメだ、そして、その人の問題意識を社会問題と接続してあげないとダメだ、さて、ではどうやって?、という問いではなく、
どこかに(自分たちがコミュニティ「未満」と見なしてしまっている)若者の「コミュニティ」があるはずではないか?そこでは、個人的なしかし「政治的」な問題意識が語られているのではないか?どこかに、若者が主催・参加している社会運動があるのではないか?、といった問い、
つまり、「私たち」の側が、連帯(参与)できていないのは誰か・どこか?という問いである。
埼玉ユニオンとフリーターユニオン福岡は気になっています。
他にもおもろいところがあったら、教えてください。
http://www.saitamasu.jp/
https://ameblo.jp/su-zenroren/
http://union-fuf.com/
https://fufukuoka.blog.ss-blog.jp/