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批判への応答を批評する際に、そこに「迅速さ」などの時間的視点が入ることには、けむしは全面的には賛同しない。(弊害の面もあると思う。)
なぜなら、対応の「遅さ」を批判したり、「長い時間」がかかるなら( 「少し時間をください」といった)事前報告・途中報告が望ましい、とするとき、そこには、ある一定の時間の流れが前提とされてしまっているからだ。
つまり、相手の持っている可処分時間がこれくらいだろう、これくらいなら思考をまとめて返答できるだろう、という想定があるから、「もう~日も経ちましたよ!」と言えてしまうのである。この想定が、しばしばマジョリティ的・健常的視点であるということが危うい。例えば、相手が、(賃労働以外のケア労働も含め)長時間労働をしていたり、持病のせいで苦痛なく落ち着いて思考できる時間が少なかったり、といった場合を、想定から排除していないか。
メインストリームな時間性とは異なる、(クィアな)時間性を生きる「異なる他者」への想像力や、時間性の異なる「学び」のあり方への想像力も、反差別活動者にはあってほしい。
※上記は、個人への批判指摘の場合を想定している。組織・企業への批判・抗議の場合は、また事情が違ってくる。
あと、SNSの使い方(投稿頻度や時間性)についても、みんなSNS企業に影響されすぎだと思う。どうしてみんなそんなに迅速性・頻繁性の高い使い方を前提としてしまうのか。システム(が前提とする使い方)をクィアするという視点からすれば、同じ(企業提供の)SNSを利用しながらも、1か月に1回しか投稿しない、とかいう使い方はできるはずなのに。例えば、「2週間も経ったらさすがにSNS通知は見ているだろう」というような想定は、誤っているときがあると私は思う。
あと蛇足だが、「いいね」機能を「賛同」の意味としか捉えない、というのも、企業側のデザイン意図に影響されすぎだと思う。(差別的投稿に対する備忘録としてもけむしは使う。)