意灰さん 応答
https://bsky.app/profile/neko-kemushi.bsky.social/post/3lezmucb7w226
『当人に何かを要求するわけでは全くないのだが(生活状況をもっと明らかにしろとか)、
障害年金と生活保護とを両方受けることが制度上できないということではないよね、という点について、他の人の誤解を招かないよう、ここでけむしが補足しておきたい。
もちろん、個別の状況によっては、年金受給者で、生活保護受給まで至らないケースはある。(自己決定で申請しなかったり、基準を満たさなかったり。)』
https://bsky.app/profile/tikky.bsky.social/post/3lf2c6yl7ws2a
『そういう意図ではないのはわかってるけど、生活保護うけろ圧を感じてやだ、それしか選択肢ないと言われているみたいで嫌だし、「このひとは生活保護受けられるんだから支援しちゃダメだよ」って呼びかけられている気分になる、、、「なぜ生活保護受けていないか」の説明責任も発生しているような気がする。
やだなーとだけ言わせてください
なぜ、何も知らないのに補足できる…?少なくとも嫌な気持ちになっちゃった…』
また、元記事に以下の文が追加される。
『※追記:これ以上の個人的な情報の公開はできません。また、詮索や詳細を求めるようなコメントは控えていただきますようお願いします。どうかその点をご配慮いただければと思います。』
意灰さん当人から(批判的)言及を受けたので、応答する。
けむしはいわゆる「エアリプ」(言及先を明示せずぼかすこと)に何らかの悪さがあると思っているが、それは本題ではないので置いておいて、
1,
まず、意灰さんからの言及を受け、けむしの書き方・表現の仕方について「しまったなあ」と思った点から述べる。
けむしが、『他の人の誤解を招かないよう、』補足したい、と言うときに念頭に置いていた「他の人」とは、意灰さんと同様に障害年金を受給していて、かつ生活費が不足し困っている人たちのことです。彼らが生活保護という選択肢を視野に入れない(両方ともを利用することはできないと誤解して選択肢から外す)ことを危惧し、それを避けたいというのがけむしの意図でした。そうした(制度知識の不十分な)人たちが、共助や自助で何とかするしかないと思って、より危険な選択をすること(例えば犯罪的アングラ労働や、極端に言えば絶望して自死など)は、望ましくないとけむしは思っているし、けむし(あるいは「世間のふつーの人」)にとっては当然の知識でも、知らない人々は(意外と)たくさんいるということを、けむしは重く受け止めています。
けむしが、生活保護も制度上申請できると指摘したかったのは、意灰さんが申請できる、ということが言いたかったのではなく、意灰さんの投稿を見ている上記のような障害年金受給者(の「あなた」)が、ということです。しかしながら、この点は、けむしの書いた文からは、明確に解釈できるようになっていません。これはひとえに、けむしの筆(書く力、と言っていいのか)の未熟さ・至らなさのせいです。このために、別の解釈が可能になり、その解釈が意灰さんの気持ちを害したりしていたら、原因はけむし(の表現の仕方の拙さ)にあります。実際にはそこにない悪意を解釈して傷つくということも(実際にある悪意と同様に)十分ショッキングなことです。けむしのせいで気の毒なことをしました。
そもそも、正直言って、意灰さんの投稿を見ている人々に、支援だけする側の人々(金持ち)がたくさんいるとはけむしは思っていません。むしろ、同様に困りごとを抱えつつも、マイノリティの生き方を模索し、お互いの生き方を参照例にしながら、ときに助け・助けられ、という人々が多いと思っています。上記のけむしの危惧も、そうした想定から出てきています。したがって、「他の人」への「補足」の別様の解釈、つまり、(支援が必要な側に視点を置くのではなく)支援しようと検討している側の人々に対して、「この人は生活保護を申請できる(から支援する必要ない云々)」と示している、という解釈は、けむしには全く思い当たりませんでした。(気付けなかったから悪くないということではなく、事実説明として。)
2,
次に、批判的言及の批判内容について、妥当性を検討し、応答する。
まず、『そういう意図ではないのはわかってるけど、生活保護うけろ圧を感じてやだ、それしか選択肢ないと言われているみたいで嫌だし、「このひとは生活保護受けられるんだから支援しちゃダメだよ」って呼びかけられている気分になる、、、』の部分から。
意灰さんは、『そういう意図ではないのはわかってるけど、』と述べつつも、『「このひとは生活保護受けられるんだから支援しちゃダメだよ」って呼びかけられている気分になる』と述べることによって、(けむしの意図と異なる)上記のような別様な解釈があることを示唆している。
しかし、書かれていない(・解釈ができない)ことにまで言及している部分もあると思うので、確認していきたい。
けむしが投稿で「補足」しているのは、障害年金と生活保護とを両方ともを受けることは制度上可能である、という事実の指摘である。これを、「意灰さんが」という主語でも解釈できるということは、上記で見たとおりである。一方で、けむしは『生活保護うけろ』とも、『それしか選択肢ない』とも、『このひとは生活保護受けられる』とも書いていない。『生活保護うけろ』ではなくむしろ、『当人に何かを要求するわけでは全くない』と書いている。また、『それしか選択肢ない』ではなくむしろ、『自己決定で申請しなかったり』という表現によって、「(基準を満たしていなかったり、無知だったりして)申請できない」という場合の存在だけでなく、「申請しない(そして別の選択肢を模索する)」ということも(尊重されるべき)自己決定だ、ということも示唆している。(※「自己判断」ではなく「自己決定」という語を使った点まで読み込んでくれと言うのは読者に期待しすぎかもしれない。)またそして、制度上両立できる(生活保護申請はできる)、という制度についての指摘はしているが、意灰さんが生活保護を実際に受給できる、とは述べていない。『このひとは生活保護受けられる』ではなくむしろ、条件を満たさず受給できないケースがあると述べている。
このように、書かれていないし、(反対のことが書いてあるので)解釈できそうにない意味が読み取られてしまう原因は、けむしの言葉が(丁寧に読まなくても良いと)意灰さんに軽んじられているからなのか、この社会に広がっている、生活保護に関する(偏見的な)意味連関リソースのせいなのか、私には判断がつかない。(制度上可能だ、という事実の指摘を受けただけで、生活保護「受けろ圧」が発生してしまう、という現状にはなってしまっていると思う。)ただ、少なくとも、これらの「誤読」については、けむしの表現の仕方が悪いせいではないと思う。
意灰さんの批判的言及において、「けむしの意図とは無関係に、そういう読解ができる表現になっており、表現効果として批判している」のか、あるいは、「表現としては問題がないが、現在の社会状況のせいで、ただそう感じてしまう」ということなのかは、明確にされていない。『圧を感じ』る、『と言われているみたい』、『って呼びかけられている気分になる』、という表現によって、けむし投稿の意味や表現効果について直接的に批判することを回避している。このことは、一方では、「そう書いている」という誤った断言をしていないという点で、慎重で抑制的であるという評価ができるが、もう一方では、そうであるがゆえに、批判することを引き受けるということをしていない、という点で悪さもあると私は思う。つまり、批判する=自分が批判主体となることを引き受けることによって、誤った批判をしていないかといった「責任」も引き受けることになる。そうした責任を引き受けないまま、「言われているみたい」「言われている気分になる」という表現で上手いこと曖昧にしたままで、批判的言及をすることには、何らかのズルさ・不誠実さがあるようにけむしは思う。
意灰さんが「表現としては問題がないが、そう感じてしまう」というほうを言いたかったのであれば、けむしからのこうした「反論」は心外かもしれないが、批判かどうか曖昧な表現でけむし自身が書いてない内容を羅列されると、けむしとしては辛いところがあります。デマ・誹謗中傷とは言いませんが、『やだなー』となります。意灰さんの「感想投稿」を修正しろとか追加補足しろとかは全く求めませんが、今後は表現する際に(どちらの意図なのか分かるように)配慮していただけると幸いです。
次に、『なぜ、何も知らないのに補足できる…?少なくとも嫌な気持ちになっちゃった…』の部分。
この部分はちょっと解釈が難しいが、『なぜ、何も知らないのに補足できる…?』という箇所からは、「意灰さん当人の個別状況についてよく知らないのに、他者が補足すべきではない」という批判的意味が含まれているし、『少なくとも』嫌な気持ちになった、ということは、嫌な気持ち以上のこと(倫理的悪さ)があり得るという示唆にもなっている。したがって、そうした批判として受け止める。
この『なぜ、何も知らないのに補足できる…?』という問いかつ批判点に対しては、上記1のけむしの意図の説明によって応答としたい。法や社会制度に関して知識不足な人々が割を食う(あるいは「割を食う」以上の不当な目に遭う)ことをけむしは強く問題視しており、それを防ぐために「外から」他者が補足的に口を出すことは、「(意灰さんについて)何も知らな」くても、可能だ(・しても良い)とけむしは思っている。(もちろん、不当性のない形で、という条件付きではあるが。)
最後に、『「なぜ生活保護受けていないか」の説明責任も発生しているような気がする。』の部分に応答する。
ここが最も応答が難しいが、頑張って書いてみる。
「他の人」に限らず、生活保護も申請できるということを意灰さん自身が知らない場合もけむしは(低い可能性として)想定していたが、より高い可能性としては、意灰さんが何らかの事情で生活保護を受給できなかったり(申請しても通らなかったり)、何らかの判断で生活保護を申請しなかったり、という場合があるだろうとけむしは思っていた。なお、スティグマで申請を躊躇うということ以外で、生活保護は「健康で文化的な最低限度の生活」という理念と異なり、実際には使い勝手が悪い部分があるので、申請が通るだろうけども申請しない、という選択も自己決定として「あり」(非がない、場合によっては合理的である)だとけむしは思っている。
つまり、けむしの(高い可能性の)想定としては、意灰さんが、生活保護も選択肢として視野に入れた上で、それを選ばず(あるいは選べず)、かつ、その選択肢について(支援者へのステイトメントのなかで)あえて言及しないということを選んだ、と思っていた。それは、生活保護について言及しないことで、意灰さんにとって何らかのメリット(あるいはデメリットの回避)があるということである。
そして、けむしによる制度に関する事実の指摘は、その意灰さんのメリットを損なうことになる(ことをけむしは分かっていた)。したがって、けむしは、意灰さんのメリットの尊重と、けむしの指摘の意義とを天秤に掛けることになる。そしてその結果、けむしは、同様の困窮者の誤解を避けるために例えば意灰さんのステイトメント自体に加筆するべきだ(倫理的にその責任がある)、といった要求はせず、けむしが引用投稿で補足する、という形をとっている。この形式が、天秤を掛けた結果のバランス感を反映したものだと思ってもらいたい。つまり、記事内で不言及のままにしておくという意灰さんのメリットをある程度尊重しつつ、引用投稿記録から辿れはするがけむし自身で自由にできるところ(自分の投稿)で補足することで、指摘の意義も(ある程度)ある、という形。
上記1で、「他の人」への「補足」について、別の解釈は念頭になかったと述べたが、ただ、制度についての事実の指摘をするだけでも、意灰さん本人が何らかの「圧」を感じるだろうということは考えていた。それは、「生活保護受けろ圧」もそうだし、けむしの指摘によって不言及がいわば「欠落」として浮かび上がってしまうことによって、その欠落について(埋めよという)圧が生じてしまうとも思った。(だから、『当人に何かを要求するわけでは全くないのだが』と付け加えてはいるが。)この圧は、説明責任とは無関係に、(説明責任がなくても、)不可避に生じてしまうプレッシャーだと思う。
さて、では本筋に戻って、『「なぜ生活保護受けていないか」の説明責任』が発生しているのかどうか、を検討したい。
生活保護を受けていない理由以前に、生活保護を受けていないということ自体をステイトメントの中に記すべきかどうか、ということを考えてみよう。けむし的な視点からすれば、生活保護という選択肢への不言及は、一定の人々(「弱者」と言っても良い)への不利益になる。しかしながら、この点があっても、当人がステイトメントの中で言及すべき(倫理的責任がある)とまでは言えない、とけむしは思う。
次に、支援者への説明責任として、不言及が問題になるかどうか考えてみよう。支援者への説明責任として、自分の困窮状況や不足金額を述べたり、収支報告をすることは、一般的によくなされている。(けむしが賛同するとは言っていない点に注意。)こうした説明責任のひとつとして、生活保護を受けていないことについても言及すべきだろうか?けむしは支援(寄付)への説明責任としては不要と思うが、「言及したほうが(相手に対して)より誠実・より望ましいのか?」という問いだと、判断に迷うところである。何かしらの都合・事情があって、不言及が正当化される、という次元ではなく、そもそも望ましさに違いがあるのか、という点。「けむしだったら書くかもしれない」とは思うが、それは問いの答えではない。この点はちょっと判断保留(分からない)としたい。
さて、上記で、生活保護を受けていないこと自体の説明責任はけむしはないと思うと述べた。そして、その受けていない理由も、当然、同様に、説明責任はないとけむしは思う。(この不言及を、例えば、「隠している」と表現する・捉えることは誤りだと思う。)しかしながら、社会一般では、(なぜか、)支援される際に多くの説明責任があるという意見や、説明と引き換えに(交換条件で)支援するという意見もあることは事実だ。そうした、社会に流通する意見の影響で、意灰さんもそういう『気がする』、そうしなければという思いが自ずから湧き出てきてしまう、ということはあるだろう。これは、けむしの投稿が直接的原因というよりも、けむしの事実の指摘による上記の「欠落」へのプレッシャーをきっかけに、社会的な価値観の影響の下で、発生してしまうものだと思う。これにどう抵抗していくか、というのは重要なトピックだと思うが、今回は割愛する。
批判内容への応答としては以上。
https://bsky.app/profile/tikky.bsky.social/post/3lfcslmfsbk2d