Untitled
セーファースペース概念にピンと来ないのは、
「安全」よりも正しさや開かれ、のほうをけむしは志向するから。
不正義が無ければ(防がれれば)、世界は危うくリスクがあっても良い、し、
(例えば閉鎖的で)安全であっても、そこに不正義があるならば、果たしてその空間は一体誰の何のために?と思う。
いわゆる「セーファースペースポリシー」って、「正しさ」遵守をしていく以上のことを志向しているの?
あらゆるところが正しい(不正義の起こらない)空間であるべき(あらゆるところで正しく振舞うべき)、というのは、当然の前提的理念ではないの?
ケルベロス・セオリー
本屋メガホン
home概念との違い?
「家でひとり」ならsafeか?
そもそもが、home以外に、公共空間内に(店として)safer spaceを作ろうという目的なのか?そのとき、その目的が、単に安心できる(人しか来ない)「友達の家」に堕していないか?
ひとりでいてもsafeではないとき、必要なのは、(しばしば思考・試行されるような、ゲートキーピング的な・閉鎖的な)「セーファースペース」ではないのでは。そうでなく、安全でない中で、正義や安全を実現するために実践していくことなのでは。
https://tababooks.stores.jp/items/6594b180a269467587e8633e
https://mukadeya.base.shop/items/86635125
https://chutetsu.hateblo.jp/entry/2024/09/13/120000
https://bsky.app/profile/rhunadanv.bsky.social/post/3l7hjysgmxe2z
https://bsky.app/profile/rhunadanv.bsky.social/post/3l7hk3s3ev52d