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サウザンブックス
サラ・マクブライド『明日は変わる』 翻訳出版 クラウドファンディング
『サラ・マクブライド議員は米国において、いわゆる「イスラエル・ロビー」から多額の政治献金を受けている、親イスラエル派の政治家として知られています。(註1、註2)』
『もし本書を出版されるのであれば、最低限、サラ・マクブライドがどのように非道の限りを尽くすイスラエル国家に加担しているのか、注釈をつけるべきであろう』
『※本メールに対しサウザンブックスより返信があった場合でも、その事実及び内容の公開をうたうものではありません。』
『※私信を同意なく公開する行為に及ぶことは、原則としてございません。本メールに対するご返信についても、公開を当然に予定するものではございません。』
『追記(2026年4月9日)
本日サウザンブックスより、公開書簡に対する返信を頂きました。
内容を詳しく公開することはしませんが、当会より意見を申し上げたことについて、感謝の言葉を頂きました。
極めて穏当な内容でした。』
これは運動上の疑問なんだが(批判ではあるかもしれない)、
公開書簡(質問や要望)を出しておいて、回答は公開しないって、運動戦略上、意義あるの?
言い換えるなら、回答を公開しないなら、公開書簡で出す意味ないのでは?
(公開書簡への返答は『私信』ではないだろう。)
要望送信を公開せず普通に送っても返答さえ来ない可能性があるから、公開書簡にしてプレッシャーを与える、というなら分かるんだが、
そのような相手の態度についての想定根拠が別にないなら、
公開せず一対一でやりとりするか、
公開書簡にして当初から「回答も公開します」とやるか、だろう。
(そしてけむしは、サウザンブックスが無回答・無視という態度を取るという想定はしていない・しづらいと思う。)
「下手な」運動をしてはいけないとは別に私は思わないが、
より良い・上手いやり方があるのではないか、という点と、
また、
回答を公開しない理由を示すこともなく、
回答の文言を公開しないまま、「穏当だった」など評価を述べることは、ある種の悪さがあると思う。
その批評の読者に、検証可能性が開かれていない。
ーーー
追記
基本的に公開質問状・公開要望書という運動形式をとる場合って、それによって1ターンで要望が通ることなどは ほぼあり得ず、
(こちらが満足できないような)返答を相手にまず語らせて、その回答(相手の認識や価値観や、要望を呑むかどうか)をpublicに共有した上で、さらに多くの批判者と(相手の態度を変容させるために)運動展開していく、というのが一般的だと私は思っている。
ゆえに、どういう形であれ、相手へ変容を迫っていく運動をするために、(批判相手や批判者・連帯者間での)共通認識として・今後のとっかかりとしての足場をつくらない(自分だけのものにしておく)ということの理由が私にはよく分からない。
一連の返信をもらって、けむしから以下に後で追記する。
(下書き)
多少の情報が有益なのは、それが事実の断片である限りであって、根拠のない評価だけがあっても、
盲従しろということか
「社会的制裁を受ける」かどうかが重要なのか?