おならができる空間
遠藤まめた
恥をかかせない
恥をかくことに慣れていないと、恥の回避のために、自己保身や悪事の正当化、事実認識の捻じ曲げ、等々をすることになる。
必ず人生で恥をかく場面はあるのだから、そうした悪人にならないためにも、また、恥をかく「感情的被害」を無意味に大きくしないためにも、「転んだ受け身の練習」ではないが、恥をかく練習をすべき。
恥をかかない(かかせない)ようにするのではなく、安心して恥をかける空間コミュニティをつくるべき。
例えば、おならができる空間
「ごめーん」「全然いいよー」
「失礼」「なんもなんも」
差別をしてしまった後の修正なども、恥をかく練習として、指摘しない・恥をかかせない指摘の仕方、ではなく、
安心して恥をかける空間をそも作っておけば、指摘の仕方を変に穏当にしなくても良いのでは。
きちんと非難するが、それとは別に、空間的前提として、あなたの根源的尊重がある、という。
「反うわさ戦略」とかも、
結局、癪に障らないように反論しよう、というだけのことでないかと思ってしまう。
恥をかかないから事実確認してやる、翻意してやる、ということを促すなら、
自身の感情に反してでも正誤を確認・検証しよう、という人間の努力を相手に放棄させてしまうだけでは。