「気付き」と「不安」と「狂信性」
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人は様々な場面で「気付き」を得るタイミングがある
「腑に落ちる」とか「深く納得する」とかでもいい
内容は何らかの世界の法則や仕組みなど
学問的な何かかもしれないし、役に立つ人生訓かもしれない
それを単に知識として覚えるのではなく、理解し深いところで納得すること
「気付き」はとても気持ちいい 多分脳内麻薬とか出てる
誰かに聞くのでも自分で辿り着くのでもいいけど後者の方がより気持ちいいと思う(主観)
例えばこんなシーン
学校で習ったある数学の公式を他の公式から導出した
親から聞いてた人間関係の教訓を実体験を通して身にしみた
偉い人の名言を読んでハッとさせられた
何となくだけど実体験とリンクするのが条件としてありそう
主観ではこの「気付き」は無謬で世界の真理に見える
不安
世間では「気付き」と同様の事柄が否定されていたり無視されていることもある
無謬で世界の真理だと思ったことが受容されていない現実に「不安」を感じる
この「不安」からの逃避として世間や周囲を攻撃し始める これが「狂信」
例
似非科学にハマり、現実の科学者を陰謀論で否定するとか
新興宗教にハマって、外の人の言うことに耳を貸さなくなったり
挙げた例は極端だけれども小規模なものなら身近にも頻繁に発生しているように思える
体育会系のサークルで度の過ぎた先輩後輩関係が肯定され代々継承される
自分の人生訓をやたら他人に強要したがる人