神との1on1という独り言
アウグスティヌスは、時間についても、記憶についても、自由意志についても論じたけれども、なぜ(というか、どうして)それらを論じたのかというのは、あまり説明されていない気がする。
この問題意識はたぶん自分が思い出した自説の方向の話ではない気がするのが、思い出したことをメモするトリガーとしてのみ使う。イスは座るためのものだがある場面では高いところにあるものに手を伸ばす(なにかより概念として上位のことや尊いことを今から話しますという比喩ではない)ための台として用いることがあり、言論においてはこれを会話形式で行わずに完全な引用として行うことが大事であるが、引用RTはそうではない。そもそも引用を誤用するようなデザインになっているのだ。言論には賛意は不要だし、引用は厳正に行わなければならないのにそのためのツールが整ってないどころか全く誤った方法で行われるプラットフォームが流通したことは人類にとって戦争と同じぐらい不運であった。未然に防げたのであれば何が欠けていたのか
本当に書きたかったことは単純に神様という存在を相手にしたときの思考の行く末がかなり特殊だったはずだということである。彼より過去には彼ほど神と真剣に向き合って言葉を発した人間はいなかった(はずなので教父と呼ばれることになっているんだろう)ので、その素朴に嘘が通用しないとかそもそも分からないことがないとかの超人間性が彼の思考のベクトルをコントロールしていたことは間違いないと思う。その条件を一身に背負った場面での言葉は「時間についても、記憶についても、自由意思についても」切っ先が届いたというのはかなりいい話だし、言葉の利用場面としての生活との対比がしっかり出るのもこの場面が人類史上初めてだった可能性がある。