現状把握
柄谷行人の『『トランスクリティーク』を普通に何となく読んでいるが、今自分の(というか別に自分の生活はめちゃめちゃ特殊ということはないので「現代の」とか「モダンな」とかっていっていいかもしれない)生活のもろもろがこの視点とは遠すぎる気がしている。
正直なところ、もう少し手元に寄せた文章のほうが面白いというかちゃんとしてるなと思う。手元に寄せすぎた昨今の己との対話的な部分の話は幸運にもスキップできているが、一方で仕事があって生活があっての少し前時代な生活観でいうと「明日はこれをしなきゃいけなくて、その合間に自己研鑽的なこのワークをして、そのためにはこの怠惰に打ち勝たなければならなくて」という感じではないものの、仕事を社会的な価値の面から捉えて「それでもやる」みたいな捉え方と、一方の生活でも「それでもやる」を打ち立てようみたいな問題意識は、世界や国家の構造から何かを捉えていく作業とは少し毛色が違う感じがある。あとから見たら思想の潮流的に処理されるようなことなのかもしれないが、そういう意味では柄谷行人も少し古く、逆にバフチンやウィトゲンシュタイン、ド・マンとかはたまたカントの倫理(判断力批判がそれなんだろうけど、純粋理性からやらないといけない話は頭の中では5億周してる)なんかがピッタリ感がある。時代のところなのか個性のところなのかはわからないけど。
単純に『トランスクリティーク』は60歳のときですよっていう話はあるような気もしていて、それでいうと柄谷の30~40代の仕事にはバフチンとかウィトゲンシュタインの名前がチラチラする感じなので(言葉と悲劇を先に読んでみる)、人生というのはそういうものっぽくもあり、長生きはしたほうがいいみたいなことなのかもしれない。