手癖と作家性
リビングにいったらついてたオードリーのバラエティーで星野源が「ギターで作曲してたけど自粛期間でキーボードでの作曲に挑戦し始めて、手癖が抜けた」という趣旨の発言をしてた。オードリー若林も手癖でネタを書いてしまうので前これやったなみたいな難しさがあると同調してたんだが、手癖はそのままほとんど作家性として受け取られる資格を持つし、作家側がその手癖を避けるように努力をする傾向があることは興味深い。その作家にとっての新作というときの新は最新という意味以上ではなく、新規性をも含意すると感じたことはないのだが何か新しいことをやりたいという作家の気持ちが前に出てきている話だ。
単にアーカイブから逸脱するという意味の新しさを縦の比較と呼べば、横の比較として同時代からの逸脱というのが容易に想像できよう。こちらを意識していれば、特に手癖が問題となることはないと思うのだが、横の比較から自分の作品への落とし込みになんらか障壁がありそういう創作活動のベクトルが失われているという指摘もできると思う。
大事なのは批評性と言い続けているのはこういうことで、同時代との比較がちゃんとできないとこの類の問題にからめとられてしまう。作家はその人本人であることを権威にできればもっとも幸福というか、それに越したことはない。手癖はその象徴であり、ここを問題に感じるような創作姿勢はあるべき姿とは言えない。