アーレントに小さな幸せの話をしてもらう
たとえば、「小さなもの」にたいする現代人の愛着は、20世紀初期の詩が、ほとんどすべてのヨーロッパ語で説いたところである。もちろん、その古典的な表現は、フランス人の小さな幸福に見られる。フランス人は、かつては偉大で栄光に満ちていた公的領域が衰退して以来、「小さなもの」の中で幸福になる技術を習得するようになった。つまり彼らは、自分の家の四つの壁に取り囲まれ、衣裳箱とベッド、テーブルと椅子、犬や猫や花瓶に囲まれて幸福になれるのである。そして、急速な工業化のおかげで、今日のものを生産するために昨日のものがいつも殺されているのような世界にあって、彼らフランス人は、世界最後の純粋に人間的な片隅とさえ見えるようなこうした小さなものに、保護といたわりの眼を注いでいるのである。このように、私的なるものが拡大し、いわば民族全体が魔法にかけられてしまうと、その民族は公的とはならず、公的領域を作らない。それどころか、こういう状態は、ただ公的領域がほとんど完全に消滅したこと、したがって、あらゆるところで偉大さが魅力に席をゆずったことだけを意味している。
アーレントが普通にこの辺指摘してたんだな、知らなかった誰か知ってたろ、この時点で騒いで損した
小さな幸せを批判して王道を推したのはまんま「偉大さが魅力に席をゆず」る未来を悲観しただけなので本当にそのままです
これ「人間の条件」