我々はなぜ真摯であるべきか
ハイデガー『ニーチェI』p.43
《頽廃》《生理的退化》などというものは、ニヒリズムの原因ではなく、すでにそれの帰結である。したがって、これらの状態を追放しても、それでニヒリズムが克服されるわけではない。ニヒリズムに対する対抗運動がこれらの害悪やその追放のみに着目しているかぎり、せいぜいニヒリズムの克服が延期されるだけである。ニーチェがニヒリズムという名前で指している事柄を把握するためには、非常に深い知と、それにもまして深い真剣さが必要である。
この講義で、ニーチェに対峙するというより一般的なお弁当として、哲学的な問いに対する姿勢を提供したいというのがハイデガーの意図であるところは何度も強調されているが、その中心がこの「深い真剣さ」であるように感じる。真剣さがないと特にニヒリズムみたいな論理性のある不真面目さには太刀打ちできない。このあとハイデガーは新しい価値定立に際して、偉大な時代が一回限りであることや、その持続期間がきわめて短いことを指摘して、新しい諸価値を出迎える欲求や要求を創造し確立するという課題に対してコミットすることの難しさによってその真剣さがどれだけ貴いかをアピールする。