リスニングについて
聞くと言わずにリスニングという場合は外国語の聞き取りに行為の範囲を限定する場面だが、母語のそれと何が違うだろうか
脳で起こっていることが違うと言えば網羅的だが、このレトリックは常に根源的でも本質的でもなくて、基本的には違わないだろう。音声というか話し声が聞こえてきて、それを理解するわけだが、母語以外は文字によってその体系を修得しているためにその寄り道のための行為をリスニングと呼んでいそう
そういう意味で、文字的ないし文法的な外国語の修得とは別に音韻的な外国語の修得が必要となる。会話という場面では文法的な整理に時間を使えないし、英語教育やその後の研究者としての訓練ではなんとなく文意をつかむという営みに習熟してきたが、これとは別の方向の習熟が必要そうだ。
一方で、音素単位は聞けないといけない気はする。塊で組み合わせ爆発が起こった後だと時間が足りないだろう
エッセイのような読み上げをスクリプトと照らし合わせて音と文字の変換速度を上げていくのは少し違いそう。とにかく会話を無限に聴いて、その細部まで理解するべきか
英語ではやるとして、各種別の言語でもやる。韓国語からやりたい感じはしている