アントレプレナーシップとアート
対話型鑑賞法によるアントレプレナーシップの育成
ロジカルシンキングに思考の方向性を振りすぎるこれまでの教育や
人材育成プログラムとして普及することへの合理性がないことへの問題意識
「これをやって何になるんですか?」という指摘
マネジメントに落とし込むとロジカルに説明できないという現状
これはまさに「イノベーションの理由」的な話hiragi.icon
主観から始まったもの➡「〇〇をしたい」が重要であるが、それを合理的に説明できない
何を計測したらいいのか?をききたいよね
主観的に意味が共通したもので分類する➡これができない人の多さ
創造的な分類ということがそもそもできない人の多さ
これって抽象度を高く物事を理解するって意味なのか?hiragi.icon
主観スキルが高いチームほど高い成果を出せるというデータみたいなのが欲しいらしい
「ギフテッド」的なものか?という指摘っぽいhiragi.icon
「子供の創造性」とはどのように違うのか?的な
両利き経営的な話
意思決定者の権限の大きさによって、対話型鑑賞法的な発散思考によって生まれたものが受け入れられない現状に対する問題感
スキルとして落とし込むと納得感が生まれる
場よって変わる気質的な話としての「アート」
パフォーミングアートも射程に入れると、スキルと行動の関係も理解できるのではないか?という指摘
ロジカルであることの弊害とは?
拡散的思考は全ての土台にある
そのうえで共有可能性を上げるための「収束的スキル」
人間性とはそもそもアート思考のことではないか?という指摘
言語学的な観点
スイッチとして身に着けられる、という風にしていきたい
マイノリティであることは、創造的であるがゆえにマイノリティであるみたいな話
ここの「創造的」というのは、共有可能性が低い主観的なものを有しているということ
物事をあるがままに見ることへの嫌悪感としての象徴的な事件
アートの翻訳可能性ってのはそもそも矛盾してそう
新規事業と既存事業のロジックがそもそも違うという問題
それを翻訳することができない現状
見方がわからないゆえの
次は「アートの知識がある人の言うことが正解」みたいになる
フラットになることの難しさ