世界宗教と「待つ」という行為
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SUIKA産のツイートより
「待つ」という行為は宗教におけるもっとも強力なプラクティスの一つである 世界宗教においては
食事の前に祈る
睡眠の前に祈る
というように、生物が最も幸せを感じる日常行為の前に祈ることが定められている
これは、「祈る」という行為によって「待つ」という行為を行わせているのである
では、この待つという行為には何の意味があるのだろうか
実は、人間は待つことによって幸福を増幅することができるのである
なぜか?
これは「待つ」ことによって「認識」ができるからである
そもそも、幸福というのは認識しなければ実感することもない
つまり、どんなに幸福なことがその人へ降り注いでいたとしても
その人がそれを認識しない限りはその人は幸福にはなりえないのだ
したがって
人は幸福を享受する直前に待たされることによって
これから得る幸福の大きさを認識し
実際にその幸福を享受した際には大きな感動を得ることとなる
大きな感動を得る
すなわち、脳内に強力な書き込みを行うのである
「なんかめちゃくちゃデカい収穫が得られた!」と
この書き込みは当然に、脳内にさらなる処理を引き起こす
めちゃくちゃデカい収穫!?
それどうやって得られたんや!?
という質疑プロセスの始動である
この質疑プロセスは収穫を得るに至った因果の特定を目指し
それが見つかればその因果は深く脳内に刻まれることになる
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これ、別に待つ必要はないけどあえて「待つ」ことで、「待つ必要がない=時短」的なものを「失わせる」ことで、人間に目の前の幸福を認識させているのだろうな、と思うhiragi.icon
『快感回路 なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか』って本で読んだのですが、「人間は期待感を感じるだけでドーパミンで気持ちよくなる脳内の回路が活性化させられる」みたいな話があって、意外と人間の体の仕組みとも整合性があるのかもなーって思いましたkabosu.icon
これ、「体重計に乗る」みたいなもんだよなという話になりました。現実を正確に認識することで、その次にどのように自分が変更するのかを想像できるようになる。
つまり、期待感を感じることができるという意味で回路が活性化されてんのかもしれんすね。hiragi.icon
そういえば、12月はカトリックだと「救い主がやってくるのを待つ季節」みたいなニュアンスで待降節というシーズンなんですが、この時期は来たる救い主を受け入れる姿勢を整えましょうみたいに言われますねkabosu.icon