AI時代にはサンクコストを捨てるべきみたいな話、テキトーすぎる
自分の経験をサンクコストとして認識できる人は元からサンクコストを捨てることができる人で、捨てられない人はコストとして認識できないので無駄な話にも思える
“頭ではわかっているけど手放せない”のは潜在的にコスト以上の価値があると認識しているからだと思っていて、価値があると認識しているのであればサンクコストと呼ぶのはどうなのかという感じがする
他者から見てサンクコストだと言ってしまうのは簡単だが、AI時代になってより未来を予測するのが難しくなりつつあるのに、他者が一方的にサンクコストで未来に繋がらないと決めつけたり、その決めつけに当人が揺り動かされてしまうことには違和感
未来の不確実性が高まっているのに、「あなたのスキルは陳腐化する」という予測だけは妙に自信満々に語られる。予測が難しい時代だからこそ過去を捨てろ、というのは、よく考えると奇妙で、予測が難しいなら「過去の蓄積が意外な形で活きる」可能性も同様にある
そもそも、あらゆる経験は無価値になりうるものだと認識しているか、逆にあらゆる経験は抽象化された普遍的な価値に結びつく(というか自分の意識次第で結びつかせることができる)ものだと認識しているかで全く思想が違っているように思える
俺は後者の立場なので、簡単にこれまでの経験をサンクコスト」と呼ぶのを忌避している
経験がサンクコストになるのであれば、それはそもそも抽象化された普遍的な価値を得ようと普段からしていなかった結果であり、AI時代になる前から人生の有限な時間を注ぐには危険な因子だったように思える
百歩譲って、経験が無価値になるためサンクコストだという前者の立場で考えたとして、サンクコストを捨ててAI時代に必要とされる新しい仕事や方法論を積極的に身に着けた場合、AI時代においては、少なくとも具体的な方法論のようなものは頻繁に移り変わる、非常に変化の激しい時代なので、すぐにまたサンクコストになって捨てる必要がある。
これは人生の有限な時間を賭けるには筋悪に思える
AIという新しいものを取り入れるというのは重要なことだけど、「新しいものを取り入れる」ことと「古いものを捨てる」ことは独立している行為なので安易に過去の経験を捨てたり否定するべきではないと思う