OPPENHEIMER オッペンハイマー
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なるほどねえ。大義のために突き進むが途中から自らが作り出すものに対する恐怖心から葛藤を持つようになる感じ、リアルだなあ。
にしても、実装にめっちゃ悩みながら寝た時、俺もよくああいうパチパチしたイメージが浮かぶことよくある。
「オッペンハイマー」は映画館で見てこそ趣旨が伝わる
自然と人間社会との境界面で起こる事象の興味深さ
マンハッタン計画とアポロ計画に見る科学と社会の関係
学生時代からマンハッタン計画の指導者として原爆開発を成功させるまでと、戦後にオッペンハイマーがかけられる2つの査問という、3つの時系列が絡まりあって進展する。主軸となるのはオッペンハイマーに私怨を抱き、彼を追い落とそうとするルイス・ストローズとの確執だ。その意味では、この映画は、モーツァルトとサリエリの確執を描いた映画「アマデウス」(1984年、ミロス・フォアマン監督)に近い。 登場する科学者の名前と業績が頭に入っていると、ますます面白さは増す。アインシュタインが「神はサイコロを振らない」と、最後まで量子力学の考え方に反対していたことを知っていれば、オッペンハイマーとアインシュタインとの会話も一層味わい深く感じるだろう 徹底したリアリズムで再現される最初の原爆爆発実験「トリニティ」(1945年7月16日) の後、対日戦勝利のスピーチをするオッペンハイマーの見る幻覚は、アメリカ人にはショッキングであろう。 大きく重い原子が壊れて小さく軽い原子に分裂する時、小さく軽い原子が融合して大きく重い原子になる時、莫大なエネルギーが放出されることが発見される。核分裂反応と核融合反応だ。主役は原子の中心にある原子核。原子核が分裂したり融合したりすることでエネルギーが発生する。 オッペンハイマーが開発した爆弾は、1945年8月6日に初めて使用され、壊滅的な影響をもたらした。その日、エノラゲイと名付けられた米軍のB29爆撃機が、1発の原子爆弾を広島に投下した。 3日後にはボックスカーと名付けられた別のB29が長崎に原爆を投下。2発の原爆により、少なくとも11万人が投下直後に死亡した。米エネルギー省が所有するマンハッタン計画の資料によると、その後の5年間でさらに数十万人ががんなどの副次的影響で命を落としたと考えられている。 理論物理学の広範な領域にわたって大きな業績を上げた。特に第二次世界大戦中のロスアラモス国立研究所の初代所長としてマンハッタン計画を主導し、卓抜なリーダーシップで原子爆弾開発の指導者的役割を果たしたため、「原爆の父」として知られる。戦後はアメリカの水爆開発に反対したことなどから公職追放された。 1960年9月に初来日して東京都・大阪府を訪れている。
戦後、10月にハリー・S・トルーマン大統領とホワイトハウスで初対面した際、「大統領、私は自分の手が血塗られているように感じます」と語った。トルーマンはこれに憤慨、彼のことを「泣き虫」と罵り、二度と会うことは無かった3。 1947年にはアインシュタインらを擁するプリンストン高等研究所所長に任命され、1966年まで務めた2。 水素爆弾など、より強力な核兵器開発に反対するようになったため、「水爆の父」ことエドワード・テラーと対立した。