自分の中に毒を持て
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いのちを賭けて運命と対決するのだ。その時、切実にぶつかるのは己自身だ。己が最大の味方であり、また敵なのだ。
自分に対して真心を尽くすというのは、自分に厳しく、残酷に挑むことだ。社会的な状況や世間体を考えて自分を守るな。自分の殻を破れ。
モノマネ人間には何も見えない
人間にとって成功とは何だろう。結局のところ自分の夢に向かってどれだけ挑んだか、努力したか、ではないだろうか。夢が例え成就しなかったとしても、精一杯挑戦した、それで爽やかだ。
僕はいつでも、あれかこれかという場合、これは自分にとってマイナスだな、危険だなと思える方を選ぶようにしている。
一度死んだ人間になれ
何に興味があるか分からない、やりたいことか分からないなどというが、まず、どんなことでもいいからちょっとでも情熱を感じること、惹かれそうなことを無条件にやってみるしかない。情熱から生きがいが沸き起こってくるんだ。情熱というものは、何を、なんて条件付きで出てくるもんじゃない。無条件なんだ。
僕はつくづく思うのだが、好奇心というのはそのように生命を賭けて挑む行動に裏打ちされなければ、生きる感動としてひらかないのではないか。
今日、余暇社会などと言われ、管理された日常の外に生きがいを求めようとする人が多くなっている。農作業でも、コンピューターの操作でも、強制された労働ではなく、自由な遊びとして創造的に取り組む限り、それはよろこびだ。言い換えれば、人生、即、芸術。
誰もが好奇心を大いに発揮して、真剣に、無条件に、人生をひらいてほしい。
直線と曲線の違い
捨てる主義のすすめ
計画性を考えなくて、パッとなんでも良いから自分のやりたいことを手を出せば良い。もし続かなかったらそれはそれで良い。
また、いずれ、なんていうやつに限って、現在の自分に責任を持ってないんだ。生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在を生きることだ。
自信なんてものは相対的価値観だ。誰々よりも自分は上だとかいうものでしかない。そうじゃなくて、人間は生死を越えた絶対感によって生きなければ駄目だ。
らくに生きる人間は何を考えているのか
才能があるから絵を描くんじゃない。情熱があるから行動できるんじゃない。なにかをやろうとするから、意思もエネルギーも沸いてくるのだ。
他人ではなく、自分にプライドを持つ。
未熟というものは、運命全体、世界全体を相手に自分の運命をぶつけ、ひらいていかなければならないが、それだけに、闘う力を持っている。
未熟ということを、プラスの面に突き上げることが人間的であり、素晴らしいことだと思わなければならない。
エゴ人間の幸せ感覚
自分は恵まれていても、隣の人は苦しみを味わっているかもしれない。飢餓や差別、難民問題、戦争、数えきれないほど許すまじき事柄で溢れている中でどうして幸せなどといえよう。ニブイ人間がしあわせそうにできる。
僕は代わりに歓喜という言葉を使う。
好かれるヤツほどダメになる
友達にあわせなくていい、好かれなくていい。もっと自分を突き放してみたらどうだろう。つまり自噴を大切にしすぎているから、いろいろと思い悩む。そんなに大事にしないで、よしそれなら好かれなくていいと決心して自分を投げ出せよ。
自己嫌悪を乗り越える方法
自分の存在は無だと捉えること
徹底的にそんな自分自身を対決の相手として猛烈に闘ってやること
第2章 個性は出し方 薬になるか毒になるか
道は1本か10本か
切実じ人間こそは、自分の歪みに残酷な対決をしながら、また撫でいたわりながら、人生の局面を貫いていき、進んでいくのだ。