幸徳秋水
こうとく しゅうすい(1871 - 1911)
本名:幸徳傳次郎(こうとくでんじろう)
明治4年、高知県幡多郡中村町(現・四万十市中村京町)生まれ ジャーナリスト、社会主義者、無政府主義者
幸徳事件(大逆事件)で処刑された12名のうちの1人
秋水の墓は、高知県四万十市中村山手通の正福寺(しょうふくじ・浄土宗 寺院)にある 幸徳事件(大逆事件)
明治43年、明治天皇暗殺計画の「信州明科爆裂弾事件」を口実として、政府が幸徳秋水をはじめとする全ての社会主義者、無政府主義者を根絶しようと弾圧した事件
明治44年、秋水は大逆罪で有罪、死刑判決を受けた、39歳没