宝暦治水事件
ほうれきちすいじけん|ほうりゃくちすいじけん
宝暦4年(1754年)、江戸幕府の行った木曽三川の分流治水工事の過程で、薩摩藩士51名が自害、33名が病死、工事完了後に薩摩藩家老・平田靱負(ひらたゆきえ)も自害したとされる事件 工事地の油島(あぶらじま)付近では木曽川・長良川が合流して揖斐川に流れ込み、水害の多発する原因となっていたため三川に分離しようとした 事件後、幾度も改修工事が行われ、三川分流が完成したのは明治44年、工事全体の終了は明治45年
附記
治水神社(ちすいじんじゃ)等
昭和13年、薩摩藩士殉職者を祭神として顕彰するため治水神社が建立された 境内には治水観音堂があり、治水観音大菩薩(海津市指定有形文化財)と薩摩藩士の位牌がある
所在地:岐阜県海津市海津町油島(かいづちょうあぶらじま)|旧・海津郡海津町 近隣に、宝暦治水工事犠歿者碑、薩摩義士之像、下流に宝暦治水碑がある
また、治水工事に伴い植えられた千本松原の史蹟油島千本松締切堤も近い