センスとは、良い仮説を立てる能力のことだ。
センスがある人は何がうまく行くかの仮説をすぐに立てられるので、素早く質の高いアウトプットを出せる。
センスがない人は、誤った仮説を立て、検証し、誤ったと気づき、他の仮説を立てる。いつかは辿り着くかもしれないが、スピードが遅く、締め切りまでに出せるアウトプットの質が低くなる。
センスを磨くには、仮説を立てる能力を高めると良い。では、どうすれば仮説を立てる能力を高められるのか?
そもそも、仮説を立てるときの思考は、アブダクションと呼ばれる「結果から原因を導く推論」だ。探偵が犯人の推理をするかのように、周辺情報や過去の経験を統合して、妥当な仮説を立てる。
ここで重要なのが、「周辺情報や過去の経験を統合して」という部分だ。
アブダクションはロジカルシンキングとは違う。ロジカルシンキングが、目の前の情報のみから演繹・帰納的に、結論を導くのに対し、アブダクションは、目の前の情報とすでに頭の中にあるさまざまな情報を組み合わせる中で、ぼんやりと浮かんでくる可能性に目を向ける。どの情報をどのように組み合わせるかは、少しランダムな部分もあり、完全にロジカルではない。
ロジカルシンキングが強い人でもセンスがない人がいるのは、演繹的や帰納的な推論が上手くできても、アブダクションがうまくできるとは限らないからだ。むしろアブダクションのランダム性を嫌い、ロジカルな思考に逃げようとさえする。
アブダクションをうまく行えるかは、さまざまな情報を統合する思考への慣れもあるが、普段から、統合しやすいように情報を抽象化して頭に入れているかが肝心だ。
質の高い知識を得るには、1つの出来事を30分、1時間、時には数日かけて解釈する必要がある。他の人と議論して解釈を吟味する必要がある場合もある。SNSから大量の情報が流れてくる中で、これは行うのはそう簡単ではない。すぐに別の出来事に注意が逸れてしまう。そういう意味では、センスのある人はどんどん減っているのかもしれない。
だからこそ、実行すると相対的にセンスが磨かれる。自分の注意を1つの出来事に向け、それを食らい尽くす。こうして得た質の高い知識を、新たな事象と統合し、良い仮説を導く。これを繰り返すうちに、センスが身につくのだろう。