リーダーシップ、求められる能力高すぎ問題
リーダーシップには質を保ちながら期限を守るというドライな側面と感情を理解するというウェットな側面がある。ドライな側面は論理的に詰めていけば結論が出るが、ウェットな側面は当事者にならない限りスキルが伸びる事はない。そして全ての感情の当事者になれるわけではない。 むしろ取り込める当事者性はリーダーシップに必要な当事者性のごくごく一部で、たいていはメンバー同士の意味わからない感情の問題を解決する必要が出てくる。これをドライな問題として解決すると「冷徹な人だ」と後ろ指を刺されるし感情の理解に少しでも過失があると「わかってない」と言われる。
これが会社では100人規模のメンバーをまとめている人間が家庭のエモーショナルな問題を解決できない所以でもある。
感情の問題をケアするための共感力は実体験から生まれるケースが多い。故に体験していないケースにおける問題解決能力は低い。
じゃあ世のリーダーと呼ばれる人間はどうやってこの当事者性の不足(経験不足)を補うのか。
補えない。というか、無理。リーダーシップに求められる能力レベル、高すぎて無理。
ところがトップ0.1%くらいの人が「体験していないけどわかる」という天才的能力を持っているのと、ほぼ全員リーダーを経験した事がないことで、リーダーに求められるハードルが青天井に高くなっていく。リーダーなんだからできて当然、親なんだからできて当然という風潮がある。