社会契約
民主主義の走りであり、自由な個々人が「社会契約」することで共同体(ex. 国家)を形成する。
民主主義って何だろう?
社会契約とは、個人が自分の権利と自由を社会の共同体に譲渡し、全員が共通の利益を追求するための合意です。
今起きているのは「近代の危機」だと思います。近代市民社会の基本理念は「公共」です。その「公共」が危機的なことになっている。 ホッブズやロックやルソーの近代市民社会論によると、かつて人間は自己利益のみを追求し、「万人の万人に対する闘争」を戦っていた。この弱肉強食の「自然状態」では、最も強い個体がすべての権力や財貨を独占する。でも、そんな仕組みは、当の「最強の個体」についてさえ自己利益の確保を約束しません。誰だって夜は寝るし、風呂に入るときは裸になるし、たまには病気になるし、いずれ老衰する。どこかで弱みを見せたら、それで「おしまい」というような生き方はどんな強い人間にもできません。それよりは、私権の一部、私財の一部を「公共」に供託して、「公権力」「公共財」を立ち上げた方が私権も私財も結果的には安定的に確保できる。人間がほんとうに利己的に思考し、ふるまうならば、必ずや社会契約を取り結んで、「公共」を立ち上げるはずである・・・というのが近代市民社会論です。 もちろん、こんなのは「お話」であって、「万人の万人に対する戦い」というような歴史的事実は実際には確認されておりません。社会契約説は18世紀の人たちが手作りしたフィクションです。しかし、市民革命を正当化するためにはこのフィクションが必要でしたし、歴史的条件が要請した物語であれば、作り話であっても現実変成力がある。これは歴史が証明しています。
古市 ルソーの『社会契約論』は、ひと言で言うとどんな本ですか。
東 近代民主主義の基礎となる本ですよね。フランス革命を作り上げた本とも言われていて、近代民主主義について考える上では絶対に避けて通れない本だと思います。 社会契約とは人民一人ひとりが「自分の持つすべての権利とともに自分を共同体全体に完全に譲渡すること」だと言っています。だけど各人はすべての人に自分を与えるから、結局は誰にも自分を与えないことになる。そして、自分が譲渡した権利と同じ権利が社会契約によって自分のところに戻ってくるし、自分が持っているものを保存する力を、契約前よりも多く手に入れるんだ、と。
つまり、人々は全部を与える代わりに全部戻ってくるから、何も失わずに社会が成立するというロジックになっている。これ、変なロジックでしょう? 大事なのはこれを理解しようと思うことではなく、このすごく変なロジックが近代民主主義の基本にあるんだと理解することです。
王権神授説 → 社会契約説
自由で平等な個人が互いに契約を結んで国家や政治社会を作った