創るためのAI
AIと創造性の話。実際に手を動かしてきたからこその手触りが宿っている。当然だがかなり良書
p62
コンピュータのワープロソフトや表計算ソフトになると、想定されている以外の使い方をするのは難しくなります。(中略)これがAIになるとどうでしょうか。表計算ソフトで音楽編集ソフトやゲームをつくる強者はいますが、頭に思い浮かべたメロディーが音楽になるAIシステムを、それ以外の別の用途に使うことができるでしょうか。創作活動に関わる人々のあいだで、必ずしもAIの評判が高いわけではないというのは、仕事を奪う可能性があること以上に、創作家都度を誰かが決めた型にはめるものというイメージがあるからなのかもしれません
ツールとしての遊び。Copilotの世界、どんどんAIでインタフェースが透過的になると遊びが消える。APIが生えているほど組み合わせがある。麦氏等が言っていることが少し分かった気がした。ツールの設計から創造性は生まれる。
振り返ってみれば、新しい表現は得てして、道具の間違った使い方から生まれています。
AIは偶発性を内在させることにも繋がるかも、とも。
p84
バベルの図書館の寓話が示唆するように、創作行為の範囲を上手に十分に大きく、かつ有限の範囲に限定することができれば、創作は探索行為として考えることができます ボーデンの創造性の話おもしろい。新結合だけじゃない。自分がアイデア出しは探索空間で考えていたけれど、先人が既に考えていたことだった。 p201
当時の画家は王侯貴族や有力な商人といったクライアントの注文に忠実に絵を描く、職人のような存在だったとされます
今日を限りに絵画は死んだ
1839年。ダゲレオタイプの公開デモンストレーションに立ち会った、画家ポール・ドラローシュが語った言葉にその危機感が表れています。
カリカチュアされたように、仕事が奪われるのをただ指を咥えて見ていたわけではありませんでした。
画家は写実的な表現から解放され、抽象度の高い表現を志向するようになります。こうした動きから生まれたのが、印象派などの19正規後半の新しい絵画のスタイルといえます。
p241
パソコンのキーボードとして標準的なQWERTY配列です。QWERTYのキーの並びは、タイプライターでモールス信号を書き写しやすくする、すでにあった特許を避けるなど、複数の理由が複雑に絡み合った結果生まれたものです。タイプライターからパソコンへの時代が移り、QWERTY配列に意味がなくなったあとでも、標準的なキーボード配列として今も広く使われています。一度ある配列に慣れてしまうと配列を変えることに対する抵抗がメーカー側に働き、それがまた次のQWERTY配列慣れした世代を生み出す...ビデオテープのベータ、VHS方式などと並んで、ロックイン効果の代表例といえるでしょう。
いいねの数や視聴数で最適化された写真や音楽は、私たちの目や耳には心地よく響くことでしょう。しかし、クジャクが美しい羽根の呪縛から抜け出せなくなったように、最適化が文化の進化の袋小路へとつながる道であることを意識する必要があります。
進化は多様化のプロセスです。
最適化を目指せば目指すほど、多様性を失う危険性をはらむ。AIを創作や表現活動に利用する場合には、文化の多様性を守るという視点を忘れないでいることがますます重要になりそうです。
文化の進化の袋小路、これメチャクチャ良い言葉だな
一生サビだけの歌を聞いていろ
p260
ゲームのパッケージによるとその数は...通りにも及びます。このゲームをプレイすることは、ゲーム内に無数に埋め込まれているバリエーションのいくつかを、インタラクションを通じて具現化、現前化する作業であるといえます。ゲームのプレイヤーは、コンテンツの受け手であると同時に、ストーリーの具体化を助けるつくり手側の要素を併せ持つわけです。
このように考えると、未来の高度なAIを使った作曲を、Twitchでのゲーム実況に例えることもできるでしょう。つまり、生成され得る可能性のある音楽はAIモデルの中にすでに含まれて/埋まっていて、ユーザー(作曲者)からの入力、パラメータの調整によって、初めて具体的なかたち、耳に聴こえる音となって現れる---音楽のリスナーは、AIのユーザー(作曲者)がAIモデルとインタラクションした結果を、コンテンツとして楽しむことになるのです。
LLMはバベルの図書館
p262
新たに生まれる中間的な行為を「生産=消費/プロサンプション」と名付け、行為の主体を「生産=消費者/プロシューマー」と呼びました。プロシューマーは消費者であると同時に、生産者でもある存在ということになります。
AIの誕生でつくり手と受け手の境界がぼやける
AI時代における作家性
p330
AIにモノマネをさせる
AIの「間違い」や「予測不可能性」を大切にする
間違いがそもそもランダムではない、何かしらの多様体に張り付いている
AIの園芸家になる
園芸の場合、相手は自然ですから、どのような花が咲き、どのような実がなるかは、実際に種から芽が出て育つまではわかりません。
大事なのは、すべてをコントロールしようとしないこと。
AIを誤用する