エンプティネス
$ \mathrm{emptiness} | ˈem(p)tēnəs |
デザイナーの原研哉氏が日本について語るときよく出てくるエンプティネスという言葉がある。 これは空(くう)の英語で、原氏はエンプティネスを、 空っぽというのは満たされる「可能性」そのもの
といっている。つまり何も存在しないのではなく、満たす可能性が存在するものということになる。それを意味するものとして彼は器のビジュアルを示している。日本におけるエンプティネスの感性の起源については無印良品のイベントトークに乗っている。 https://gyazo.com/550143ee0316e4785e22d910d6456d54
そのエンプティネスが道具のデザインにも影響しているという。 道具におけるエンプティネスにを理解するには、彼が例示している包丁の例が非常にわかりやすい。
https://gyazo.com/eb3f383ca2268dae2bb48f76b424f7e1
左が西洋の人間工学に基づくシンプルな包丁で右が日本の職人が使うエンプティネスな包丁。
西洋の包丁は、誰もがうまく使えるように作られている。もっとも効率よく切れるようにグリップすることが人間工学的にデザインされているから。
一方で日本の包丁は、どこを持ってもよく、初心者には滑ったりしてしまい使いづらいが、職人にとっては多様な切り方使い方をすることができる。つまり道具にいくつかの可能性があるということである。
深澤直人氏寄稿のプロダクトからインターフェースデザインへでは、金槌とゴムグリップハンマーの話が書いてある。ハンマーはグリップしやすいため強く打つことができる。金槌はグリップ力はないが、滑らすことで長さを調整し力のかかり方を容易に制御することができる。これもうまくやるにはそれなりに訓練がいるが色々な使い方ができる。 本物の知性を磨く 社会人のリベラルアーツという本の中では、西洋と東洋(日本)の道具の作り方の違いとして、西洋は技巧を道具に埋め込み、日本は人間に技巧を求めるということが書いてあった(今手元にないので正確な表現ではないかも)。そこではジョウロと柄杓の話が書いてあった。ジョウロは誰でも水を植物に与えられるが一つの使い方しかできない。一方柄杓は水を撒く、手を洗うなど人間の技によって様々な使い方ができるが、使い慣らすのは難しい。 katakurashohei.icon
道具に小さな汎用性があるということだと思う。大きすぎると使いづらいが、汎用性がないと一つ簡単な使い方しかできない。
HCIは、コンピュータという巨大汎用機械を適切な大きさの汎用機械に設計することなんではないかと思ったりする。 対象(画像処理、ロボット制御、ファブリケーション支援とかいろいろ)によって汎用度のスイートスポットが違い、研究者はそのスイートスポットを探しているのかもしれないなとかなんとなく思った。小さな単位のはなしにも少し似ているのかも。