提供された世界観の集合体で自分の世界観を作る
というのが、一種のポストモダン?的な幸福感なんじゃないかという感じがする。 shenzenとかみたいな安くsmall batchもできる?中国工場ができてニッチな製品が作れるようになって、多様なハードウェアが作れるようになってきている。。ソフトウェアでは当たり前だったけど、物質でも。で消費者は、製品それ自体よりもその世界観も消費している。 ある程度、それによって自分を表現したい、自分の世界観を表現したいというときに、その提供された世界観をいくつか所有することで、自分の世界観を作り上げるというのがあるんじゃないか。一から作り上げるのではなく、キュレーション。そうキュレーションだ。 話変わるけど、キュレーションは、我々の世代にかされたもはや義務で、それをうまくやるかどうかで幸福度が違う。まず第一にSNSの情報をどう取るかという話。あとはそのどういう道具を揃えていくかの話。道具も多様になってきたので。所有による世界観創作。一から表現するのではなくキュレーションで表現する。spotifyのプレイリスト共有とかもそういうキュレーションによる世界観共有。別に自分で音楽作っているわけでもないけど、なんか音楽作っている感覚になれる。 多分コンピュータ以前、ハードウェアとか家電が大企業とかでしか作れなかったとき、所有による世界観表現は階層的だった。つまり、私は今このくらいの層にいるという表現が主。それを他人にいう場合もあるし、自分で納得するためでもある。結局お金の量で表現できるものが変わるから。
今は、安くてクオリティも高いものがある。そしてそういうものがいっぱいある。プロが作ったものもあるしアマチュアのものもある。その集合体で世界観が作れるので、ネットワーク?的な世界観が作れる?そしてそれがあまり被らない。(が実際には多分かぶる)。まぁよくわからないけど。これは一種のアイデンティフィケーションにもなる。 これも話若干違うけど、動物化するポストモダンにかいてあった萌えのデータベース的消費もそういう世界観の断片を集合させて自分の消費を作る漢字も似ている。 二次創作的というか、オリジナルを作るわけではないが、オリジナルの集合体や別の世界観の融合でものを表現するみたいな。 というまぁメモ。文章はめちゃくちゃだけど、これは何となく前から思っていたことなのだけど、こういうのなんか誰か論じてないの。