コンピュータは知性を内包した道具
darft
-----
コンピュータは道具でありながら知性を持っている。これが今までの道具たちと違うところなのだろうと思う。 これは今思えば非常にあたりまえなかんじのはなしで、設計に重要なことなのだと思った。今までdirect manipulationを考えすぎていたが、それではコンピュータを最大限に生かせないのでは? 道具でありながら知性を持つと言うのは難しいもので、道具と言うのは知性がないから道具と言うのもある。知性を持つと言うことは透明性が消える。しかし本当に道具に限りなく寄せる必要があるのか? 人間のコミュニケーションは知性を含むものと含まないもの(生き物、生きてないもの)とでは違う。おそらく知性を含むものと対峙すると、言語や音のようなものでコミュニケーションしようとする比率が多くなる。生きてないもとはそう言う関わり方をしない。まぁ病んでしまって石に話しかけたりすると言うことはあるのかもしれないが、その石に生を見出しているのであって、生きてないとはまた少し違うものになっている気がする。(メモ:石に生を見出す時と言うのはどう言う時なのか?) 何かヒントになりそうなものとして、なぜ人間は赤ちゃんのような、知性(だが大人とは違う)に出会うと喋り方が変わるのかと言うこと。そしてその喋り方の変わり方が特にストレスなく変わるのである。すごい自然に変わる。このストレスなく変わることを大人にさせるという特性を赤ちゃんは持っており、コンピュータもそのような特性を持つ必要があるのでは?つまりコンピュータも知性を持っているが、人間に遠く及ばないので、コミュニケーションの仕方を少しずらす必要があると言うことなのだと思うのだけどだけど。犬とかもそうかも。 (2020/5/10 Audience-tuning effectsというらしい)