【文アル横光】服装・人物について
出で立ち
参考画像
どこか旅人のような忍者のような修行僧のような風味が一部ある装束kasaya.icon
座談会「春宵閑談」
横光 お茶と忍術と関係はありませんか、僕は伊賀の産だから忍術に興味を持つてゐます。僕の所から一里ばかり行つた所に伊賀流の道場があります。
父親の転勤で一家各地を転々と過ごしていた子供時代、母方の実家である柘植に一番長く住んでいたため故郷と感じている様子
自身を松尾芭蕉の家系だと意識していた俳人でもある(血筋かどうかは完全に検証できない?)
右前で蝶結びのような片わな結びに見える帯kasaya.icon
蝶結びの蝶は蚕の蛾のこと
その夜、彼は生れて初めての夏の多彩な海岸に眩惑されたまま、久し振りに生々としてゐた。が、さて寢ようとすると、また一疋の大きな白い蛾が彼の肩さきにとまつてゐた。
「これはをかしい。」と彼は思つた。
彼は暫く蛾をじつと見詰めて立つてゐた。
「これは妻だ。」
ふと彼はさう思つた。すると、俄に、前々夜から引き續いて彼の周圍を舞ひ續けて來た蛾の姿が、戀々とした妻の心の迷ひのやうに思はれ出した。
この話は自身の体験が交えてあるようだkasaya.icon
上着が白なのはこの蛾の白からとっているのだろうか?kasaya.icon
前で結んでいるのはコートなど洋装のベルトの趣を感じるkasaya.icon
女性の帯の結び方だが、スイートピー結びという名前のものがあるkasaya.icon
或る日、彼の所へ、知人から思わぬスイトピーの花束が岬を廻って届けられた。
先端の飾りは何がモチーフなのだろう?kasaya.icon
右腿の白帯
まだ私にはわからんkasaya.icon
ただのアクセントである可能性kasaya.icon
右目を隠した赤い紫の長髪を結って左肩に掛けている。前髪はわずかに透けているが外からはほとんど窺えないkasaya.icon
きっちりまとめているように見えて、意外と乱れている部分があるkasaya.icon
謎の髪型からだろうか?kasaya.icon
髪の色
キミさんとの日常を描いたような小説kasaya.icon
私は露で冷めたくなつた手に一房の葡萄を攫んで妻の床の傍へ持つていつた。
「あらあら、重いわね。」
「ベテレヘムの女ごらよ。ああ汝の髮は紫の葡萄のごとし。」
〈ベテレヘムの女〉云々は旧約聖書が出典らしい?kasaya.icon
髪結いのデザイン
男性の「下げみづら」を思わせるような髪紐kasaya.icon
『日輪』の時代イメージからかkasaya.icon
髪型自体はみづらではないkasaya.icon
髪飾りの形状は花束のようにも見えそうkasaya.icon
妻は彼から花束を受けると両手で胸いっぱいに抱きしめた。そうして、彼女はその明るい花束の中へ蒼ざめた顔を埋めると、恍惚(こうこつ)として眼を閉じた。
「何んと、お前は軽い奴だろう。まるで、こりゃ花束だ。」
右目を前髪で隠している
その時、今まで反耶の横に立って、卑弥呼の顔を見続けていた彼の弟の片眼の反絵は、小脇に抱いた法螺貝を訶和郎の眉間に投げつけた。
片眼の登場人物がいる。反耶の弟、反絵(はんえ)
「それより、君の光線の色はどんな色です。」と梶は話を反らせて訊たずねた。
「僕の光線は昼間は見えないけども、夜だと周囲がぽッと青くて、中が黄色い普通の光です。空に上ったら見ていて下さい。」
〈中が黄色い普通の光〉
瞳の色が黄色いkasaya.icon
精神: 普通kasaya.icon
〈昼間は見えない〉
昼間は一日の半分 → 両目の片方が隠れているkasaya.icon
〈周囲がぽッと青くて〉
服装のアクセントカラーの水色を想像したりkasaya.icon
他人のことは私は知らないが自分一人では、私は物事をどちらかというと観察しない方である。自然に眼にふれ耳にはいってくることの方を大切にしたいと思っている。
幼い時の眼底結核により右目が見えにくく、右半身も時々しびれる持病があった康成
盟友である川端康成は右半身に少し不自由があった。しかし文アルの川端康成が前髪に隠しているのは左目であり、右目は露出している
これを踏まえて、川端康成の『横光利一弔辞』を読むと以下のような文がある
君に遺された僕のさびしさは君が知ってくれるであろう。
盟友にとって見えにくかった方の眼を隠すことで、彼のさびしさの一端を自分も追体験しているという体現のひとつであるのかもしれないkasaya.icon
お互いが鏡写しの形状である
文アルの横光利一の人物図鑑にある、
その目を見るだけで理解してしまう
過去に川端康成が見えにくかったという右目を見ているのだろうし、自身の右目を隠すことで彼が見えにくかったことまで実感として理解しているのかもしれないkasaya.icon
見えにくい右目には視覚情報を得ることより先にその目に己の感情が露出するのかもkasaya.icon
川端康成は同弔辞のなかで、逆に自分についてはこうも書いている
生きている僕は所詮君の死をまことには知りがたいが、君の文学は永く生き、それに随って僕の亡びぬ時もやがて来るであろうか。
文アルの川端康成は、文アルの横光利一とは逆に、横光の目を見るだけで理解をする能力があるかのようなキャラクター紹介文はないkasaya.icon
親しくあった旧知故に川端が横光の人柄をよく理解していることがわかる表現は多々あるが、横光が川端の目から何を言いたいか汲み取る特殊能力のような描かれ方は川端側にはないkasaya.icon
メカクレについてはこうだったらいいなをすんごいこじつけました(土下座)kasaya.icon
2024年5月、『微笑』をやっと読んだのでさらにこじつけた(ど土下座)kasaya.icon
襟巻
はためき方が蛾の羽のようなシルエットkasaya.icon
柄はモダニズムの表現かkasaya.icon
モザイク風の配色パターンの格子柄、裏地は無地
同じ『新感覚派』で実装されている川端康成と似たデザイン
一見ただの色違いなだけに見えるが……
格子のサイズも少し違うかも。川端の方がやや大きめ
川端康成の襟巻は、格子の目は同じだが配色パターンはモザイク状ではなく3色がわかりやすく繰り返すパターンになっている
横光利一のモザイク風の全体像はよくわからないが、川端康成のパターンとは同じではないのは伺える
新興芸術派に分類されている文豪もこの襟巻の意匠の何かしらを汲んだようなデザインが見られる……?kasaya.icon
意識してデザインされたものかは謎
堀辰雄の襟巻とネクタイは意識してそうに見える
梶井基次郎はアーガイル調のストールがそういわれてみればな感じ
井伏鱒二は派閥を意識させないようなデザインに見える
どちらかと言うと一緒に雑誌を起こして作ったかどうかが反映されているかもしれない?kasaya.icon
武器
薙刀?kasaya.icon
川端康成の武器は単戟に見えるkasaya.icon
太陽の意匠
武器に変化させる前の状態の書物は『日輪』ということなのか?kasaya.icon
タイトル部分が長すぎるのと日輪一本槍で戦うようには思えないので、あれは『日輪』を含む自作品集なんだろうかkasaya.icon
川端康成の武器が雪国イメージっぽいのとの対比をつけるのに選ばれている気がするkasaya.icon
横光千代(子)さんの旧姓が『日向』だったりkasaya.icon
刃を下に向けて縦に見ると柄に錫杖のような印象もあるkasaya.icon
服装に修行僧のような印象があるのはこれかkasaya.icon
リイチだけにリーチが長い武器をイメージしたのかもしれない
また土下座しておきますkasaya.icon(土下座が安すぎる)
指環装備・銃
俳句をやってるからかもkasaya.icon
前髪で眼を隠したり、服装や武器が川端康成と近い印象を与える点kasaya.icon
同じ新感覚派としての統一感kasaya.icon
川端康成 『横光利一弔辞』
君と僕との文学は著しく異って現れたけれども、君の生来は僕とさほど離れた人ではなく、君の生れつかぬものが僕に恵まれているわけではなかった。君は時に僕を羨んでいた。
生い立ちや得意なことは違えど、子供時代の周囲との関わり方に似たようなところがあるように思うkasaya.icon
ただ子供らしく無邪気に……というのが難しい環境下で育っておられると思うkasaya.icon
ふたりとも純粋に日本の自然がとても好きそうkasaya.icon
耗弱時の姿勢
胃を押さえているような手の位置
1947年(昭和22年)12月30日の明け方ごろより胃潰瘍からの急性腹膜炎を併発して逝去されたとのこと
胃潰瘍の症状自体は6月頃から出ていた模様
余談
蛾が亡き妻に思える話や、ランプ……洋燈に愛着があるのか、様々な作中で印象的に描かれているのを見ると、誘蛾灯を連想したくなるkasaya.icon
今この項で調べたい出で立ちのこととは全く関係ないけど……kasaya.icon
趣味嗜好
茶道
『茶道月報』への随筆を書いている話
私は母からお茶を習つたのは六つか七つの時で、私が男の子であるからいつも床前へ坐らせられては茶よりもお菓子を絶えず見詰め、今か今かとそれを食べる刻限ばかりねらつてゐたので、足のしびれも忘れ苦いお茶を飲まされた記憶が蘇り、
6~7歳(数え?)の頃にお茶を習っている
私は少年時代は幾らか評判をとつたほどの孝行者であつたが、文學をやり始めてからは俄然それが反對になり、母が死んでからはまた少年時代に立ち返つたといふものの、もういたし方がなかつた。
茶道の再認識
っていうのがあるけど関係ある?kasaya.icon
座談会「春宵閑談」 は『茶道月報』に掲載されていたらしい
横光 私は竹細工の中で茶筌が一番好きですよ。
(中略)
横光 文壇で茶人らしいのは室生君だ。
旅に赴くこと
初めての土地へ旅行をすることは、生活の中で、最も樂しいことの一つである。
生涯通して色々なところへ行っているような……kasaya.icon
新感覚派の仲間同士で旅行してるのとかもいいよねkasaya.icon
でも切符の買い方とか電話のかけ方とかはわからないからやってもらうらしいkasaya.icon
フランスとかどうしてたの!?って感じだけど偶然にも同行者などその辺の世話を焼いてくれる人が大体いて面白い。人徳かもkasaya.icon
大きな旅行体験に基づいた内容を書いている作品がある
『欧州紀行』とか
『上海』や『旅愁』など
解説文より
かつて「文学の神様」と呼ばれた文豪。
p.286 第一章 メディアがつくる「文学の神様」
文学に一筋で、 独自の風貌と存在感をもち、 多くの若手作家や同時代の読者から崇拝された人気作家が、 「小説の神様」である志賀直哉との相関関係から、揶揄的な要素を含みつつ「文学の神様」 と呼ばれるようになったこと、そしてこの呼称が、ジャーナリズムによってつくりだされたことを保昌は的確に説明している。
保昌正夫による情報の概要
その二つ名に相応しい真面目でストイックな性分で新しい文学を追求し続けることに余念がない。
真面目でストイックな性分
横光利一。交友四五年。硬骨、信頼すべし。
五月十二日
今日もまたマチスを見に行く。絵画も文学と同じだとつくづくと思う。日本には文学にも絵画にもまだ本格がないのだ。そのため直ちに味に堕落する危険性が何人にもあるのである。心すべきことだと思う。これに芸術家が足をすくわれたら最後だ。しかし、今はこんなことを書くのはやめよう。
(中略)
本格というものは型から型を通り、自分を極度に殺し、押しのけ、突き抜け、大通俗に達したときを云うので、この修業なくして本格はないと思う。
新しい文学を追求し続ける
私は自分の作品が自分の窮極をめざして作っていると思ったことは、かつて一度もまだなかった。私はその場所にいる自分の段階で、出来うるかぎり最善の努力を払えば良いと思っている。次ぎの日には、次ぎの日の段階が必ずなければ、時間というものは何のためのものでもない。
蟻臺上に餓えて月高し
表現への挑戦
『頭ならびに腹』
『機械』
『上海』
とか……まだ読んでないのがめちゃあるけど、その時々色々試してるんだなって感じるkasaya.icon
盟友である川端康成のことは、言葉を聞かずともその目を見るだけで理解してしまう特技を持つ。
川端康成 横光利一弔辞
君の名に傍えて僕の名の呼ばれる習わしも、かえりみればすでに二十五年を超えた。君の作家生涯のほとんど最初から最後まで続いた。その年月、君は常に僕の心の無二の友人であったばかりでなく、菊池さんと共に僕の二人の恩人であった。
(中略)
君に遺された僕のさびしさは君が知ってくれるであろう。君と最後に会った時、生死の境にたゆたうような君の眼差の無限のなつかしさに、僕は生きて二度とほかでめぐりあえるであろうか。
〈君が知ってくれるであろう〉に対する表現だったらいいよねkasaya.icon
ふたりの死後に作品を取り違えられたことがある
1987年5月号で川端康成邸で見つかった原稿が、川端の初期未発表作品だったとして編集部で「世の終り」と仮題をつけて掲載。文学史上の発見と報じられる。ところが同誌発売前にその13枚の短編小説は横光利一作品とほぼ同一であることが判明。誤報だった。
横光利一の作品を川端康成が書写して練習していた名残だったというオチらしい?kasaya.icon
こういう出来事を元にして、あえて盟友との自他の境界が曖昧な感じの能力持ち(『目を見るだけで理解』『実装前から気配を感じている』)みたいにキャラ付けされてたりしたら面白いよなkasaya.icon
菊池寛『結婚二重奏』に、横光利一と川端康成を合体させた「立花」という登場人物が出ている
無機物を擬人化させたような不思議な表現をする癖がある。
丘の先端の花の中で、透明な日光室が輝いていた。バルコオンの梯子は白い脊骨のように突き出ていた。
満潮になると河は膨れて逆流した。測候所のシグナルが平和な風速を示して塔の上へ昇っていった。
今日は昨日の続きである。エレベーターは吐瀉を続けた。