【文アル横光】ボイス・回想・手紙について
ここでの【回想】はイベント回想以外のものを指します
音声
「横光利一、本名はトシカズと読む。好きな方で呼ぶと良い」
読みは「ヨコミツ リイチ」
過去のペンネームがいろいろあるっぽいkasaya.icon
横光白歩
1917年ごろ
横光左馬 (兼光左馬?)
1921年ごろ
きちんとした由来はあるが、相手が自分を呼び捨てにできないというネタも含んだ名前
ヨコミツ様
「手前は他のものとは違う変人となりたい。……何を笑っている」
私が何をしていくかという質問を出された前では、ただ自分は爆けていき、はみ出して行きたいと望んでいると答えるより、今のところ答弁は見つかりそうもない。
11頁から13頁あたりを参照
子供時代に関する情報と、その体験からのメンタルの形成について
「今しがた……川端の気配がしたな」
川端康成 横光利一弔辞
君の名に傍えて僕の名の呼ばれる習わしも、かえりみればすでに二十五年を超えた。
(中略)
君に遺された僕のさびしさは君が知ってくれるであろう。君と最後に会った時、生死の境にたゆたうような君の眼差の無限のなつかしさに、僕は生きて二度とほかでめぐりあえるであろうか。
これを何回引いてくることになるだろう。これらが文アル新感覚派のサビかもしれないkasaya.icon
「まるで、手前が本に見られているような感覚になるな」
『四人称』のことかもしれないkasaya.icon
「自分を見る自分」という新しい存在物としての人称
(前略) 一人の人間が人としての眼と、個人としての眼と、その個人を見る眼と、三様の眼を持って出現し始め、そうしてなお且作者としての眼さえ持った上に、
「花が、春を撒き撒きやって来たか」
「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を撒き撒きやって来たのさ」
「真夏の宿場は空虚であった」
真夏の宿場は空虚であった。
「秋が来るのか……過ぎ行く夏が惜しまれるな」
しかし、都会にゐると、もう、秋が来るのかと、過ぎ行く夏が惜しまれる。
「海浜の松が、凩に鳴り始めたな」
海浜の松が凩に鳴り始めた。
「貴方達の思想は、私達の国には合わん」
東洋と西洋あれそれまわりっぽい
ここらへんは、これなんだろうなって思うのはあるけどまだあまり詳しく掘りたくないkasaya.icon
「石のように黙殺してやろう」
真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。
「貴様の急所はここだな……!」
「急所を突くぞ!」
いかなるものと雖も、必ず急所を持つものだ。急所を見別け得るものは成功する
「手前を惑わせるなど……百年早い!」
平成11年春、横光利一の生誕100年を記念して母小菊の故郷であり小学生時代の一時期を暮らした野村の地に公園が造られました。
文豪とアルケミストのサービス開始時点すでに100年以上前に生まれた人であった
横光自身は『旅愁』について「百年あとの人に判って貰えるものを書いた積りだ」と言っていた。
普段は無口だが怒ると爆発する、というようなことをどこかで見た気が……kasaya.icon
「機械の鋭い先尖がじりじり、私を狙っている」
私はただ近づいて来る機械の鋭い先尖がじりじり私を狙っているのを感じるだけだ。
「一番嫌いなものは文学だ。だが、嫌いだからこそやらねば」
私の一番好きなもの、かういふやうな題が出ると、人はひやかしながら、私にはお前󠄁は文󠄁󠄁學だろといふ。一にも文󠄁學、二にも文󠄁學といふやうに人はいふが、しかし、私にいはせれば恐らく一番嫌ひなものは、私は文󠄁󠄁學だと云ひたい。これも文󠄁學を嫌ひだといへるほどの年齢や經驗にも、私はまだ達してゐないが、それでも正直なことを云へば、文󠄁學が好きだと云ひ切れる人は、必ず非常に幸福な人にちがひない。しかし、このごろは、嫌ひだからこそ文󠄁學をやるのだと、逆にまた私は私で云へるやうになつて來た。今から十年ほど前は、文󠄁󠄁學も暢氣で、身を打ち込んでゐれば樂しさが自然に出て來る時代であつたが、今はさうはいかなくなつた。
「純文学にして通俗小説……その両立はできるはずなのだ」
もし文芸復興というべきことがあるものなら、純文学にして通俗小説、このこと以外に、文芸復興は絶対に有り得ない、と今も私は思っている。
「手前は……挫折を繰り返してばかりだな……」
私はまだ文学に勝ってはいないのだ。先ず第一にこれに打ち勝つことが肝要かと思う。
(中略)
二者選一の場合に於ても、つねに私は自分の排する方に心をひかれる小説家だった。たしかに私は賢者ではない。万法明らかに私の中にも棲みたまう筈だのに、私は愚者にちかい。
Wikipediaでいいからざっと見るとなんとなくわかるなあ~kasaya.icon
あとで他人から失敗だとか愚かだとか言われるようなことだらけだったとしても、全体的に自分のしたいことに対する本気度が高そうで、そういう人だから新しいこと色々表現できたのかもしれないkasaya.icon
自分の至らなさや未完成な部分に対して厳しいようでいてそんな自分の弱点を自分で許容していそうな人だよねkasaya.icon
先んじて成功したり失敗したりする人がいるから後発は学べるkasaya.icon
『頭ならびに腹』の書き出しにものを書く人たちが驚いていた時代があったんだなあという、今やああいう表現は当たり前のものになった感覚だってこの人の成果のひとつなんだよなkasaya.icon
「ビールは……酔うものだな……ふっ」
「いや、僕は他人の家では絶対に飲まないことにしてるんです」
「なぜ?」
「横光利一いわく“酒というものは酔うもんですからなあ”」
八木義徳は横光利一に師事したかたkasaya.icon
この文言は当時ゴシップ的に扱われていたらしい?kasaya.icon
一時は「文学の神様」という仇名のあつた位、若い文学青年にもてはやされ、「酒を飲むと酔うものですなあ!」という当然なことが、横光がいうと、妙に神秘的に感じられた時代もあつた。元来が無口な人で、面倒くさがりのようで、仲々の世話好きの、親切な作家であつた。
> 死んだ横光利一氏が、お酒をひとくち飲んで何やら考え深そうに黙っている。何を考えているのかと思っていると、しばらくして、おもむろに「酒は酔うですなァ」といったというゴシップがお笑いぐさに残っていますが、
彼についてよくいわれるゴシップに、こんなのがあります。
(中略)
「諸君、酒は酔うですなァ」と。
回想
散策: 【饒舌な日】 - 川端康成と
横光利一: はは、朋友のことだ。そうでなくても川端はわかりやすいからな
「盟友」と「朋友」の使い分けがある
普段は相手を「盟友」と称することが多いようなkasaya.icon
「盟友」は新感覚派に連なる、それをきっかけとした文学の同士として、強い結びつきを含んだ仲間の意味として使っていると思うkasaya.icon
この会話は、川端康成のプライベートな部分に対する言及なので、横光利一も、文学活動を共にすること抜きでも個人的に知己のあったごくふつうの友人という意味で「朋友」と言っているかもkasaya.icon
彼らが公の活動や仕事の関わり抜きにしても素朴な友達関係であったように窺えるのはとても好きな部分だkasaya.icon
手紙
貰った手紙
川端康成より
「忘れていたと言っていた、襟巻です」
織田作之助より
堀辰雄より
高村光太郎より
菊池寛より
「また新しい小説は書かないのか」
送った手紙
川端康成あて
織田作之助あて
小泉八雲あて
「茶道を始めるのは簡単です、八雲さんほどの和の精神に理解がある方なら、すぐに覚えられるかと思います」
お茶を習ったことがあるようだ
その後、ログイン画面の会話で茶会にすっかり馴染んだヘルン先生の姿が!kasaya.icon
『旅愁』の作中で彼や神道について触れている
片眼を隠したキャラクター同士
小泉八雲の作品に『A Living God(生き神)』というのがある
偉業によって生きているうちから神として祀られる
文学の神様も、全く違うけどある意味ではそうかもkasaya.icon
正岡子規あて
「野球好きだと見破られてしまっていたのですね、さすが正岡さんです」
この手紙の後、正岡子規の誕生日特別回想の終盤で、実際に子規周辺が集った野球チームに参加したあとの横光利一の様子が確認できる 登場メンバーは、子規・虚子・碧梧桐・夏目・久米・直木・堀・里見・横光、で9人
この回想について、里見弴と横光利一は最後に登場して2~3喋るだけだったためか、ゲームの告知画像などには回想に登場するような告知情報や言及がない
高村光太郎あて
直木三十五あて
菊池寛あて
草野心平あて