【文アル横光】覚醒後について
音声
図書館
「菊池さんは、あの時とまったく変わらない。手前は見出してもらった恩義にこれからも報いたい」
「視覚芸術は面白い。武者さんや佐藤さんの描く絵から、文学にはない精神を学んでいる」
「川端の通訳か? 川端の語ることを理解したければ、微細な表情の変化も見逃さないことだ」
「ただいま帰還した」
手紙
「郵便受けはよく手紙を食べる」
司書室
「仕事は順調だろうか。手前が茶を点てよう。少し休むと良い」
「川端を理解するのは難しくない。コツを掴めば、あんなに雄弁な人間はそういないとわかるだろう」
「これは、新感覚……だろうか?」
食堂
「海外の文士とのやりとりは、やはり新感覚なものがあるな
かつてフランスの地を踏んだことはあるが、ボードレールさんやランボーさんの話を聞くと全く違った景色が見える」
補修
「手前だけが沈没したみたいで、残念でならない……」
「僕だけが沈没したみたいで、これや残念だな。」
有碍書
「行こう、手前に任せておけ」
「貴様が虚無へ向かう悪か」
『覺書二』より
虚無へ行きつくまでの行為は、すべて惡であり、虚無より這ひ出る行為は、すべて善である。私は善惡をそのやうに判別する以外に、判別の方法あるを知らない。
「五感のすべてを研ぎ澄ませるのだ」
「私が貴様をつまびらいてやろう!」
誰かもう私に代って私を審いてくれ。
「審いて」は「さばいて」とも「つまびらいて」とも読める可能性
「退歩することで見える進歩もある」
私は作品を書く場合には、一つ進歩した作品を書けば、必ず一つは前へ戻って退歩した作品を書いてみる習慣をとっている。
「ふっ……勝利が迎えに来たか」
「む……手前は、使命に導かれたまでだ」
「背後の心配は無用だ!」
研究
「理智は磨き続けねばな」
俺は必死に理智を磨き續けなければならない。
しかし、現代のように、一人の人間が人としての眼と、個人としての眼と、その個人を見る眼と、三様の眼を持って出現し始め、そうしてなお且つ作者としての眼さえ持った上に、しかもただ一途に頼んだ道徳や理智までが再び分解せられた今になって、何が美しきものであろうか。われわれの最大の美しい関心事は、人間活動の中の最も高い部分に位置する道徳と理智とを見脱して、どこにも美しさを求めることが出来ぬ。「われら何をなすべきか」と能動主義者は云う。しかし、いかに分らぬとはいえ、近代個人の道徳と理智との探索を見捨てて、われら何をなすべきであるのか。けれども、ここに作家の楽しみが新しく生れて来たのである。それはわれわれには、四人称の設定の自由が赦されているということだ。純粋小説はこの四人称を設定して、新しく人物を動かし進める可能の世界を実現していくことだ。まだ何人も企てぬ自由の天地にリアリティを与えることだ。
――たとへば横光利一氏は僕の爲に藤澤桓夫氏の「馬は褐色の思想のやうに走つて行つた」(?)と言ふ言葉を引き、そこに彼等の所謂新感覺の飛躍のあることを説明した。かう云ふ飛躍は僕にも亦全然わからない訣ではない。が、この一行は明らかに理智的な聯想の上に成り立つてゐる。彼等は彼等の所謂感覺の上にも理智の光を加へずには措かなかった。彼等の近代的特色は或はそこにあるのであらう。
『新感覚派』という項より。引用元でこの文の前後も参照されたし
例えに使われている「馬は褐色の思想のやうに走つて行つた」の引用元はこの話だと思われる
……それはさうと、今朝ね、二階の窓の太陽で剃刀を使つてゐると、すぐ下の街路を、乗り手のない一頭の馬が、すばらしい思想のやうに、褐色に走りすぎたのだ。
(中略)
が、馬は、まるで褐色の魔法だ。街路を幾何学の運算のやうにへし折りへし折り、忽ち、完全に韜晦した。
購買
「商品が行儀よく並んでいるな」
有魂書
「手前は文学の追求者、横光利一。目の前に広がる可能性を、追い求める」
「おや? 時を告げに誰か来たようだ」
「手前が魂の標となろう」
結成
「手前が遂行してみせよう」
散策
「ふぅ……吉川さんと鍛錬をしてきたところだ。彼の不断の努力には見習うべきものがある」
「堀君は常に周囲をよく見て、細やかな気遣いをしているな
手前も、彼の心配りで今度の茶会に参加することになった。楽しみだ」
「徳田さんに教わった裁縫が、日々の生活に役立っている。何事も挑戦してみるものだな
貴方も、服が破れたりしたら手前に言いつけるといい」
「菊池さんが私の作品に因(ちな)んだ松葉酒を置いてくれたようだ
薬効があり、好んで飲む者もいるらしい。手前は、酒は一ト口(ひとくち)ほどしか飲めないがな」
『紋章』の雁金八郎のモデルとなった長山正太郎による松葉酒
この松葉酒は、大正十二年以来交友のあった小説家菊池寛が、横光利一の小説にちなんで「紋章」と名づけ出資してくれたため、正太郎は「紋章本舗」という会社を起こした
1938-03-01 『曲水』 23巻3号より
私は座を直した。そのとき、私の眼に陶然たる酔色を匂はしてゐる松葉酒「紋章」の箱が流れ込んだ。この名は、横光氏の名作「紋章」に因んだもので、菊池寛氏が推奨されてゐて、私も某氏から贈られて寝酒にしてゐる。斯くて私は我意を得たりとばかりに、明るい声で、話を酒に持つて行つた。
『お酒は相当飲けるのでせうね』
『いや、一ト口といふところです』
図鑑未収録分
「死の準備は出来ているか」
しかし、今は、二人は完全に死の準備をして了った。もう何事が起ろうとも恐がるものはなくなった。
「貴様は隙に好かれているようだな」
「路に迷えるものよ、去れ。去れ。」
若者は立停ると、生薑を投げ捨てた手で剣の頭椎を握って黙っていた。
「爾は誰か。」と再び大兄はいった。
「我は路に迷える者。」
(中略)
卑狗の大兄と卑弥呼とは、巣を乱された鳥のように跳ね起きた。
「去れ。」と叫ぶと、大兄は斎杭に懸った鹿の角を長羅に向って投げつけた。
長羅は剣の尖で鹿の角を跳ねのけると、卑弥呼を見詰めたまま、飛びかかる虎のように小腰を蹲めて忍び寄った。
「去れ。去れ。」
「うっ」
「この苦痛も舐め尽くしてやろう」
彼は苦痛を、譬(たと)えば砂糖を甜(な)める舌のように、あらゆる感覚の眼を光らせて吟味しながら甜め尽してやろうと決心した。そうして最後に、どの味が美味(うま)かったか。――俺の身体は一本のフラスコだ。何ものよりも、先(ま)ず透明でなければならぬ。と彼は考えた。
「まだまだだな……手前は」
「ぐっ」
「遺される者の気持ちは痛いほどわかる。手前は、川端を悲しみの海にとらえてしまった」