手段と目的の逆転
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問題視されがち
何が問題なんだろう
「とりあえずオープンワールドでゲーム作ればいいみたいな風潮あるけど、プレイする側としてはあんま嬉しくない」って話聞いたことある
aviutl使い始めってスクリプトいっぱいあって「すげー!これ使いたいー!」ってなるけど、全ての技術はあくまでやりたい表現をするための手段であって、それを目的にするのはなんか違うくない?っていうのがちょっとある
発想を広げるには道具は多く知っておくべきだから、道具に縛られすぎてはいないかと自問自答しながらであれば縛られるのも全然問題なさそう
そもそも創作分野では具体的な目的先発でやってる人あんま居ないのでは???
憧れだったり、承認欲求だったり、遊びだったり、金だったり、漠然とした好きだったり、現実逃避だったり、そういうわりと抽象的で浅薄なモチベーションで始めてから発展していって目的が見えてくる……というパターンが多いと感じる
目的を探すことも含めて目的になってるみたいな
文明方面じゃなく文化方面のことは必要に迫られてやるわけでないから、目的がない状態がデフォルトなはず
ニーチェが暴いた通り普遍的な価値の存在しなさは確かで、目的を自分から掘り出さなくちゃいけなくて、だからこそ手段に意味を見出す現象が頻繁に起こるのだと思う
というか、趣味はだいたい手段が目的になったものでは?
その手段に価値があると信じてる人とその価値がわからない人の間のギャップが問題?
あと手段の目的化は当事者にとって目的を見失うスレスレのラインというのもあるかも 最終防衛ライン