[エッセイ]トヨオカものがたり絵巻
慰霊の文化のリサーチでは様々な土地のストーリーを発見していった。多くの石碑や、墓標、語り手と出会い、物語のように連なっていくものもあれば、そうならないものもあった。しかし、この土地に生きてきた人々が、街のそこら中に物語を残してきてくれたことに気がつくことができた。
彼らに共通してあるのは、純粋に残そうとする欲求そのものであるように感じた。残すというモチベーションの根底にあるのは、郷土という太い流れと合流していくときのエンパワーメントへの欲求なのだろうとも思う。ここで生まれ、死んでいった無数の人々と、出会い別れていった様々な人々の面影を、今ここに生きている自分の身体に重ね合わせることで、「個人」という枠に閉じ込められた体が、内と外がつながって大きな流れを作り始める。慰霊や、残す行為はそのために機能することができる。
2月9日、豊岡市本町にある稲荷神社にて、初午祭が行われた。僕はその祭りにお誘いを受け、参加することにした。祭りという土地のサイクルに自分のこれまでのリサーチや活動を沿わせてみようと思った。
本町とは、旧豊岡藩主の拠点だった場所であり、明治の廃藩置県で豊岡県という県が4年間だけできたときに、県庁だった場所だ。京極家という家が豊岡の藩主で、古くから京極家を中心として武家屋敷が立ち並んでいた土地であり、その痕跡は街の至る所にある。その武家屋敷の一つとして、忠臣蔵で有名な大石内蔵助の妻、大石りくの一族「石束家」の敷地がある。本町稲荷神社はこの石束家の敷地内にある神社だ。
面白いのは、本町は他の街と比べて浸水しない高さのある土地であること。町の人達は長年過ごして気がついているが、これはかつての支配者層が自分たちの身を守るための工夫だったのだろう。(本町以外は容易に浸水する)
実は、声をかけてくれたTさんという方が大石りくのファンであり、稲荷神社では大石りくが夫と息子の無事を祈ったに違いないというロマン(そういった歴史的な記述はない)を熱く語ってくれて、僕はその話にビビッときて、ではそれを巻物にしましょう、という話にまとまっていった。
山田淳也