[エッセイ] お好み焼きが好きな理由 / dot architects 家成俊勝
昨年度のKansai Studiesでは、様々な生物の生存の生命線であり、同時に様々な文化を育んできた水をテーマに調査してきた。2021年度は食、その中でもお好み焼きについて調査して何らかのかたちで発表したいと考えている。お好み焼きという名前でなくても、お好み焼きらしきものは関西にとどまらず、日本 (といってもどの範囲かは分定かではないが)では言わずと知れたソウルフードの一つである。粉物研究が既にあることは周知の通りであるが、お好み焼きを通して世界を描き出すと同時に、創造の潜在性を明らかにすることを目的にしている。 まずは私たちが暮らす現在の状況を把握しておきたい。自分の部屋を見渡せば、建築材料から、洗濯機やテレビなどの家電、棚の上の小物から、テーブルの上にこぼれたクッキーの粉まで多くの商品とその残骸で溢れかえっている。そして、それらの物は、どこで材料が作られ、誰が作り、どういった経路で私たちの手元にやってきたのか、実際に購入した小売店やECサイト以外はほぼ分からない。今、この瞬間も、海洋を行き交う無数のコンテナ船、巨大コンテナターミナル、巨大物流倉庫、張り巡らされた高速道路が、バーコードや識別番号が付された箱を移動させている。私たちの暮らしはこういったインフラによって成り立っているわけだが、同時に物と物の関係性、物と人の関係性が全く見えない。お好み焼きと一口に言行っても、そこには陸と海の素材が様々に使われ、それぞれの素材がバラバラの経路を辿ってアッセンブルされた一つの形である。分厚い鉄板の上で、お好み焼きという世界が焼かれているわけである。 https://gyazo.com/3628d7a6ab9e2eb8f3c573730366a3fb
次にお好み焼きを道具とスキルから考えてみたい。道具は、まな板、包丁、ボウル、コテ、鉄板。扱うのが難しい道具は何一つない。スキルは、切る、混ぜる、焼く、裏返す。すごく簡単である。道具は手に入りやすく、スキルは習得しやすいため「いっちょやってみるか」となりやすい。ホットプレートの普及もあり、関西では各家庭で作られる料理の定番となっている。同時に多くのお好み焼き屋があるのが面白いところで、プロとアマを横断しながら、入れる具材と工夫でかなりのバリエーションを生み出せる。店によっては焼きを客に任せる。フィニッシュを預けてしまっているがゆえ、もはや誰が作ったのか分からない。地域性もかなり反映され、関西で考えてみても場所によって素材の配合や焼き方が異なる。どこでも手に入る材料、誰もが扱える道具、簡単な技術、地域性、カスタマイズといった点からも、専門家と非専門家、作り手と受け手を跨ぐ創造性が宿っているわけである。そんなばらつきやブレを含んで全てをお好み焼きと言ってしまえるのが素晴らしい。しかし、お好み焼きと一括りにすると、いや、私の故郷ではお好み焼きと呼ばないのだよと言う人もいるだろう。でも、「お好みに焼く」ですから。お好み焼きとはかなり上流の方法論である。現在お好み焼きの深層にダイブ中。