[エッセイ]農耕牛をリサーチするきっかけ・今回の調査の動機
最近、数年前に取り組んでいた農耕牛の調査について、続編に取り組みたいと思い始めた。
最初に牛に興味を持ったのは2019年のことだった。参加しないかと誘われた「おかやま奉還町のnew lagoon」というグループ展は、新潟在住の漫画家の新作漫画集の刊行記念に企画された岡山での展覧会で、それを機に私は新潟の牛を発端にした紀行文日記ZINE『牛冷す川で泳ぐ魚の話』を作成した。漫画集にはアイスクリームを提供するために印象的に牛が登場していた。ZINEの素材探しのために取材旅行に訪れた新潟の温泉街の土産物屋さんで見つけたのは売れ残った古い観光絵葉書で、その中の1枚の写真にも牛がいた。土産物屋さんの女性は新潟の地震でもうこの牛はいないと言っていた。 私は漫画と旅行を偶然繋いだことをきっかけに、俄然牛という対象に興味が湧き、調べはじめた。国内には牛の博物館が二つあり、そのうちの一つの岩手ある奥州市牛の博物館で学芸員をしている高校時代の同級生に、牛のことを教えてもらったりもした。
その結果、私は人間にとっての牛の関わり方には、大きく三つの種類があることを知る。牛乳を提供してくれる乳牛、お肉を提供してくれる肉牛、それから労働力を提供してくれる使役牛だ。使役牛は田んぼを耕したり荷物を運んだりして、人間の生活を支えてくれた。機械が誕生し、耕運機や自動車が登場するまでは。日本に使役牛がいたという証拠は俳句の季語にもなっている。ZINEのタイトルにある「牛冷やす」とは夏場の暑い時分、避暑のために牛を川に連れて行って涼ませる風習のことだ。日本に使役牛がいなくなって、季語自体がその名残となった。時代が変化して、生活や風俗が変わると文化も変化する。
それから数年が経った2023年、再び牛のことが気になり始めた。農耕に関する使役牛のことを、とくに農耕牛という。昭和30年(1955年)頃にトラクターが国内で普及し始めてから農耕牛がいなくなったことについて書かれた本を読んだり、1933年頃から1941年にかけて国営第一号の干拓事業でなくなった京都南部にあった巨椋池の調査をしながら、読んだ文献資料に「牛を船に乗せ、池に浮かぶ島にある田畑に運んだ」という描写があったりした。そういえばもう少し農耕牛のことを調べ直してもいいのかもしれないと思ったのは、近代についての記憶の聞き取り調査のタイムリミットが近づいていることをも感じたこともあった。 前回のZINE作りで採取した農耕牛については、大きく例にまとめると以下のようになる。
新潟ではトラクターを牛代わりに考えて、また耕作地が広いため、トラクターを貸さないらしい。
京都の山間部花脊では、春先の田植え時期に地域で牛を共有するため、各家に牛が数日泊まる用の部屋がある。 それから新しく加わった巨椋池の船に乗った牛の話。これらのことから、地域によって農耕牛との関係性が変化するのかもしれないという仮説を立ててみる。また、それら各々の話自体をもう少しきちんと調査してもいいように思った。そんなことを考えていた時に、ちょうどその時に関西についてリサーチをするこの企画の公募を見つけた。農耕牛の文化は関西に限らないけれど、ひとまず関西の様々な地域で農耕牛の記憶を採取しアーカイブの一端を担うことを思いつく。また、都会という中央から外れた地方の視点で、生活や文化や歴史を再考することで、なにか新しい発見に繋がらないものかとも期待する。
そして、今回の再調査の機会に至る。
https://gyazo.com/25178ea8c4cc6cb0ab9bc118e90ba3c1
https://gyazo.com/efc6d18323bbc0b7667af195793cf158
紀行文日記ZINE『牛冷す川で泳ぐ魚の話』
https://gyazo.com/7850eecce142c8135907546f51889413
新潟で購入した絵はがき
野咲タラ