[エッセイ]慰霊の芝居神楽『但東さいさい』
『但東さいさい』は烏丸ストロークロックという劇団が兵庫県豊岡市は但東地域の子どもたちを演者に、地元の民話をベースとした芝居神楽を何年も繰り返していくプロジェクトである。 私は2023年の『但東さいさい』に張り付いてリサーチをしており、演者としても出演する事になった。面白い点はこの「慰霊の文化」のリサーチと『但東さいさい』のリサーチで共鳴する部分があったことだ。
『但東さいさい』の戯曲は但東の民話である「説法杉の話」という話など、いくつかの民話や伝説をもとに脚色されて書かれている。中でも中心軸に置かれる「説法杉の話」は、まさに慰霊の話だ。迷人を正しい道に導くという説法杉の元で育った政吉という少年が、家族と四国八十八ヶ所の霊場巡りに旅立つことになるが、途中疫病で両親と妹を亡くし、弔うために但馬の国に帰るも、記憶が定かではなく迷う。人に道を訪ね歩き、最後、説法杉を目にして、ここが自分のふるさとだということを思いだす。そんな「説法杉の話」が原作となっている(参考:『但東の民話と伝説』1991年、但東町教育委員会)。驚くことに、この民話に登場する説法杉は現存している。 『但東さいさい』では、この話を脚色し、疫病で両親と妹をなくした少年の政吉が江戸の親戚に引き取られて青年に育つのだが、家族の遺髪をふるさとの土地に埋めたいと思うようになり、おぼろげな記憶を頼りに「大きな杉の木」がある自分の故郷を探し歩く、という話になっている。
第三幕、最後のシーンが私はとても好きだ。但東の大人たちも、このシーンが特にジーンとくる、と言っている人が多い。
そのシーンを紹介する。説法杉という大きな杉の前で死後に山の神として政吉を見守る彼の父親が、早池峰神楽の「山の神舞」を踊り、山に還っていき、それがきっかけになって政吉は自分の生まれ育った家の場所がここであることを思いだす。そして山に向かって「ここがわしのふるさとや!」と叫ぶ。どこからか、父親が「おう!」と応える声が聞こえる。叫びは三回繰り返される。最後には子どもたちも、山の神になった父親とともに「おう!」と叫ぶ。このシーン、泣ける。
『但東さいさい』の出演者は但東の子どもたちだ。この土地の子どもたちがこのお話を舞台上で演じることは、とても大きな意味を持っていると感じる。消滅していく地方の問題に対して演じられる、原点回帰のお話だ。そして、そこに慰霊が関わってくるのは必然とも言える。
面白いのが、政吉の父親、山の神になった父親を演じるのは、烏丸ストロークロックの劇団員だということだ。そして山の神舞も、この土地に根ざしたものではなく岩手の早池峰山の麓に根付いた神楽だ。まれびととしての山の神(劇団)がこの土地に分け入り、土着の信仰と結びついていく過剰なまでのプロセスを体感しているよう。
もともと、但東にも、地域によっては山岳信仰の歴史があるようで、年中行事でも山の神にまつわる行事もあったそうだ。早池峰神楽のルーツである岩手の山の神信仰は、但東の文化とも全く異なるものだが、パフォーマンスへの感動が異なる信仰をつなげるかもしれない、と妄想してみる。烏丸ストロークロックの山の神舞が但東の人々の山への信仰を復活させるかもしれない、なんて考えると面白い。そこには複雑怪奇な文化や信仰の受容と継承のプロセスがある。
このように、慰霊にまつわるパフォーマンスをみていくのは面白い。神楽は複雑に記号化した印がパフォーマンスを構成している芸能で、慰霊の目的があるものも多い。慰霊にはパフォーマンスが伴う。パフォーマンスは神を目撃し、信仰を確かにする現場だったのだろう。盆踊りなども、そのようなパフォーマンスだ。今後、信仰と慰霊とパフォーマンスにまつわる事物をリサーチしていきたい。
また、政吉の旅の原点には家族の遺髪がある。遺髪を土に埋めるというのは遺髪塚という形でよくみられる。大石りく、という赤穂藩士老大石良雄の妻である女性の遺髪塚が豊岡市内にあるのだが、(またリサーチをする予定)私としては髪の毛に故人の面影を透かし見る、という営みに興味を惹かれる。髪の毛を伴った慰霊行為をリサーチしてみたい。
https://gyazo.com/87dcdd36845e6ce4b6a123e5e7cf9e3b
西谷の清竜の滝。昔干ばつで苦しんだ村の人々がここで雨乞いをしたら竜神が現れて雨を降らせたという伝説が残っている。『但東さいさい』の第二幕はその伝説を下敷きにして作られている。
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高橋の一宮神社に現存する農村歌舞伎舞台。2023年の『但東さいさい』の舞台として使われた。
山田淳也