[エッセイ]大石りくの遺髪塚
豊岡市街地から円山川を越えた直ぐ側、川を眺めるようにして大石りくの遺髪塚がある。大石りくは忠臣蔵で有名な赤穂藩家老大石良雄の妻だ。
彼女は忠臣蔵で知られる討ち入り事件を夫たちが実行する前に子どもたちを連れて豊岡へ逃げ、そこで子どもたちを育てた。今でも「良妻賢母」の良き例として豊岡の人々に愛されている。そんな彼女の遺髪塚が、豊岡にある。りくはその後広島に移り、亡くなったのは豊岡ではなく広島である。なので正式な墓は広島の国奉寺墓地にある。
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銅像も建てられている。
かつて夫たちを弔った正福寺の山。彼女がみた風景や感じたはずの情念がここにこびりついている。それを弔うための遺髪塚なのかもしれない。遺体はここにはない。だけど体の一部だったものがここにあるだけで、なにもないよりもその人がいた存在を信じることができた。但東町高橋村の開拓団のように、ここに亡くなった人々が全く埋葬されていないのとはまた違う。
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これがりくの遺髪塚。中に入ることもできた。形状は雅成親王の墓と似ている。高貴な人の墓はこのような形状が多いのか。
彼女の遺髪塚はきれいに管理されていた。紹介の丁寧さからも、地元の方々からの愛を感じる。
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谷竜一さんのリサーチに通ずるものだが、ここにも詩があった。
山田淳也