[エッセイ]よりマイナーなものへ(導入と照会)
今回のリサーチを始めるにあたって、はっと思ったのには、細見和之の詩がある。
彼の「闇風呂」という詩集を、確か東京に住んでいた時、それも10年ほどまえになるけれど、池袋のジュンク堂で読んで、妙に気になっていたのだった。僕も関西の詩のシーンで少なからずかかわってきたので、細見さんのことを知らなかったわけではない。むしろぼんやりと共感し、影響を受けていたような気もするのだが、東京の書店で出会ったその詩集は、また異なる質感を持ってわたしに迫ってきた。
特に印象的なのは表題作でもある『闇風呂』なのだが、読み直してくとまた別の作品が気になってきた。
そのうちのひとつが、『父の詩』という詩である。
相撲取りでも
手配師でも
父が家具屋を廃業したのは十年前
祖父が起こし
父が拡げたものを
兄と私が放擲した
(中略)
私が十二歳のとき
遠い中東で大きな波が起こり
ここまで押し寄せた
以来
私の町にバブルはなかった
店の繁盛
あれがうたかたのバブルだったのだ
店を閉めるまえに
父と母は新聞に最後のチラシを入れて
在庫一斉セールをした
久方ぶりに
ぽつぽつと客がやってきて
わずかの家具を買っていった
それから大きな看板を外した
「暮らしの家具センター細見」――
あれは父が考えたキャッチフレーズだったのだろうか
父の生涯のなかのたった一行の詩
(細見和之『闇風呂』、2013、澪標)
細見さんの多くの詩を知っているわけではないが、こういうものを調べてみたいとおもったのだった。
谷竜一