長島康夫著「19歳の甲子園」を読み終えて
福村 俊明(53期)
表題の本をお借りして一気に読み終え、波乱万丈の半世紀の自伝と言える物語に感動しました。早速、感動と感想を綴り、著者 長島 康夫氏に手紙を出しました。彼から6/13返事を受け取りました。 「お元気でお過ごしのご様子うれしく思います。同期会などお目にかかれる日が来ればと願っております」 と添え書き有り。 長島さんのお父さまと同じ、当方も松江生まれの安来育ち20年余。彼とはクラスが別、生活のリズムも異なり、直接の接点はないが、安来小学校、安来一中、米子東高校を通じて同期。返事の中に執筆動機として 「 わたくしは、かねてから自分の激動の少年時代を書き残して置きたいと考えていましたところ、こうした姿で 公開することになりました」 と記してあります。
第5章「逃避行」、第6章「38度線を越えて」に於いて、想像を絶する様な過酷な体験をリアルにして、劇的な展開を平静な筆致で語られる、その抜群の記憶力もさる事ながら、8歳当時に遡って、かかる物語を紡ぐストリーテラーとしての才能も稀有。第1章で野球に目覚め、夢が第9章で開花、その間の様々な苦労を経験され、例えば、生計を手助けする為、お母さまと牛乳配達、米子東高野球部では夜遅くまで練習、年齢制限による公式試合出場停止が解除されるまで、バッテイング投手を買って出たり、外野ノックをする役目を務める、自主的に冬トレーニングにも努められた、等、等、感心しました。
またこの本には随所に秘話、逸話が散りばめられ、例えば、昭和30年半ば~40年にかけ阪神の熱血投手と謳われた村山 実さんが関西大学野球部当時、彼からピッチング指導を受けられた事、高校卒業前、将来の進路について米中出身、往年の阪神の名捕手土井垣 武さんから助言があった事、等、等。どれもこれも初耳、読み進むに連れて興味が尽きません。この物語のハイライトは昭和31年夏の甲子園球場での準決勝米子東高校vs 岐阜商業高校の試合、延長戦で1 対 2で惜しくも岐阜商業に敗退、当大会の名勝負として 語り草となったこと、それにも増して長島投手の力投が光り、野球評論家から絶賛、一躍、有名になりました。だが、この偉業について、本人の心境を漏れ伝え聞く所では、彼の人生の通過時点の出来事、つまり一駒としてとらえ、遡って講演で話すようなことではないとの事、謙虚な人柄が伺えます。
彼の人生および物語に於いてお母さまの存在は絶大、それと彼の地の国民学校3年生8歳の頃に体験された厳しい試練を経て培われた忍耐力・根性、そして野球魂が書物を貫くキーワードではないかと読み進むうちに感じました。お父さまとは戦禍を逃れる混乱期、現地(朝鮮北部)で離別、お姉さまとは家族で南に逃避行中、死別されるという悲惨な体験に遭遇され、それから60有余年を経て功成り名を遂げられ、仕事と家族にも恵まれて、人生の晩年に差しかかると父親の儚い命と、お姉さまの非業な死を少年時代の重い過去を綴る事により、その霊を慰め、鎮魂にもつながる のではないかと彼の心中を勝手に忖度しますが。 以上
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