現実とフィクションの区別
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これまでは自分はあんまりつけて考えていなかったんですが、最近「ぜんぜん別やろ!!」と思うようになってきました
今の夢とか腐みてるジャンルは未成年ですが、現実の未成年に全くやましい感情はないし、どうしてもフィクションの彼らと現実の未成年は結びつかない
なんでこの人こう考えるんだろう→あ、高校生設定だからか。とか
き、期末テスト...?懐かし。ああ、高校生だもんな...とかはありますが
まあでも設定としてそうなのだなという感じ
あんまり認めたくはなかったですがフィクションの暴力がまじでめちゃ好きでもはや性癖なんですが、現実での暴力がとても嫌い
ああ、これありますね~sta.icon*2
喧嘩みたいなやつとか、ダークヒーローがガンガン殺すのとか、あとエロになりますが強姦とかも
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まじで喧嘩とか大好きすぎてそういう(セクシャルな?)テンションで見るのがだいたいヤクザ、ウエスタン、ヤンキーです
なんというかそういう殴り合いにむしろ「やおい」を感じる...やましい目でみてしまう... 暴力と友情や親愛性愛ってなんか近しいですよねsta.icon +1kana.icon
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フィクションにある程度触れてきたら区別ついてくるってことなのかな……
どうなんですかねkana.icon
でも実際に好きになってみたり、好きにはならなくてもそれそのものにふれてみることで「全然同一とみなせないな/見れいないな」と混乱する(別物やんけ!と気づく)はやっぱりあると思います
たとえばロリコンキモい系でよく言われるのはアニメの、見た目や内面が幼く見えたり実際に未成年だったりするキャラクターへの愛好ですが
実際に「このキャラクターは未成年であり、そこがいい」と思っている人はそうそう多くないのでは? と思うのですがどうでしょう。
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未成年かどうかは、記号的な設定としてしか機能していないし(学校に通っている、だとか、何らかの成長可能性が感じられる、だとか話のキッカケにすぎない)、愛好者もそう受け取っている?
見た目が幼いのは比率等を鑑みると、実際の顔との比較から自明にそうなのですが、やはりこれも愛好者としては「幼く見えるから→かわいい→好き」という受け取りかたではないような気もします。まだあまり言語化できていないですが...
内面が幼く見える、にはたとえばアニメっぽい口グセや擬音語? だとか異様な天然とかあり、たしかにそれは実際リアルで見たら「オッ、障害か?」ってなりそうなものですが、アニメという空間では気にならないですよね
結局のところ(実際の人間の)内面の幼さを愛好しているというよりは、アニメ空間で馴染んでいる何らか、を愛好しているとでもいえばいいのか...
僕もそう思います。アニメ空間によってつくられた「記号」を愛好している。そういう愛好対象が確立されてきたsta.icon
アニメ空間内ではもっとらしいからそれはそれで一つの世界として受け入れることができる
そう感じられるほどに先人たちが世界観や設定やテンプレをつくりあげてきた
kana.iconおー、これはたしかに納得しました
その世界での違和感のなさ、もっともらしさというのが体験がリアル(=現実に似ている)とは必ずしも一致しないですよね
そしてstaさんのおっしゃるとおり、それは先人たちの作ってきた文脈から発生する
kana.iconアニメキャラクターの髪色とかもそうですよね。
逆に実写をやるときにその髪色を再現してしまうと下手なコスプレになる
あえて、黒髪、茶髪という三次元の人間が映像のなかでやっていて違和感のないビジュアルにするほうが、映画におけるリアリティ、ビリーバビリティを作りだすことができる
ここに文句を言う原作アニメ愛好家はおそらくそれほど存在しない(下手なコスプレのほうが嫌)
これはだいたい触れてみて思いましたねー。女性向け男性向け問わずですが
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自分に関係してるネタに対しては物申したくなるってのはありそうですね
ヒロインが記号のように扱われているのを見て、女性「私達は記号じゃない!」とか
sta.iconはあまり無さそうですが、BLとか見たら湧いたりするのかな……w
kana.iconあ、staさんにBL読んでみてほしいかもですw
せっかくだから古典的な「世界一初恋」とか(だいぶ古いですが。。。)
sta.icon今度挑戦してみたい
何度か読んだことはあるんですが、毎回その場でもういいやってなってるんですよね
そのときの感情をもうちょっと記録取ってみるか
kana.icon見たいですぜひ
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んー、たしかに自分と近い属性に関して描かれるステレオタイプなどを見ると「偏見だ!」と思うと思います。
ましてや、それが現実の差別や偏見と繋がっている場合には...。
アニメの巨乳が実際の巨乳と関係がないから(現実の巨乳好きがアニメのそれをすきとは限らないし、逆もしかりであるし、実際の乳房とは構造もなにもかも違っていて、当然絵を描く人はそんなことーー不自然なバランスであり構造であることをーー分かっているわけで、見る側の認知としても同じと思えるわけはない)、本来は「アニメの巨乳が性の対象とされる展開」と「実際にその属性のせいでセクハラを受けたり、性対象にされた」という事実は関係はないのですが、実際言葉としては同じなその属性による経験をかかえている場合は接続を考えたくなる。
kana.iconもアニメの女の子が恋愛脳に描かれていたり、性の対象にされていたりするとイラッとするときはありますが
あとは単純に、作者がそういう思想だなあと思ったら普通に嫌かも
もちろん本物のロリコンがロリコン漫画を描いている、とか実際に女性蔑視を持っている人が無意識に女性蔑視を作品に滲ませてしまっていることはあると思うので
kana.iconこれはなんとなくそう、というニュアンスなので、うまく立証できないのがつらいところなんですよねー...
sta.iconここまで踏まえて改めて考えてみると、ちゃんと区別するのは思っているよりずっと難しそうですね
自分に近しい属性が描かれてると、どうしても感情移入したりメッセージ性を捉えてしまう
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作者が本当にメッセージを込めてるかどうかなんてわからないから、なお難しい
kana.iconそうなんですよねー。
あとは、読者がどう思うか。という問題もありますよね
作者としては批判的に描いたつもりなのに、読者はむしろ逆に肯定的に読んでしまうとか
たとえばファイトクラブという映画はどちらかというとマスキュリニティ批判も含んでいるが、そこは見落とされて素直に受け取られてしまう状況もある(マスキュリニティ賛美) ああ、あるあるですねsta.icon