性欲強くてそれを隠さない人は仕事で嫌われるか
仮に同僚がこれだとして、(仕事で見せるのは論外として)プライベートなアカウントとか光景とかでそういうの見たら、たぶん仕事にも差し支えるよね
そんなこともないと思うkana.icon
プライベートなアカウントでの発言の内容が、会社の特定個人を対象にしているものであれば話はべつ
それは危害を加えようとしているととられてもおかしくないし、セクハラといわれたら否定できないだろう
そうだと思いたいけど、どうなんだろうなぁsta.icon
手厳しいイメージがある(偏見かもしれない)
特定個人は対象にしていないし、仮にしているとしても隠す
「あらゆる女性が対象」ではある
偏見だけど、上司が男性の場合も嫌われそうだし、上司が女性の場合はもっと嫌われそう
難しいところがあるsta.icon
説得力ないかもしれないが、上司を見て「上司の娘」というネタを思いつく → でもそれは上司の娘に対して性欲を向けているわけではない(し娘がいるかもわからん)
純粋に性欲に基づいて抽象的にダシにしただけという話
こういうのが通じるか、とか
んんーー通じないなーーそれはさすがにkana.icon
やはり隠した方がいいかsta.icon
なるほどな、クリエイターが普段隠すのもそのためかと理解したsta.icon
恥ずかしさではなく社会的生命のために隠す
井戸端よく見てる人は、誰をネタにしたかすぐわかると思う
念の為: kana.iconさんに反論しているわけでない。一般的な感想を述べたと思っていて、その一般論に対して考察を進めている
o1pro.icon
「通じないな、それはさすがに」と言われてしまう背景には、以下のような理由や認識の差が考えられます。
創作物と現実の境界の曖昧さ:
クリエイション(創作)を行ううえで、作り手は「あくまでフィクションであり、虚構である」という前提で表現を行っているかもしれません。しかし、受け手の側からすると、発言や描写はどこまでが純粋な創作的フィクションなのか、どこからが現実に紐づく問題なのかを明確に切り分けることは難しい場合があります。特に性的なニュアンスが絡むと、「たとえフィクションでも、この人は現実の状況でも似たような価値観を持っているのでは」と疑われたり、不快感を覚えられたりすることがあります。
言い訳としての「フィクション」主張が透けて見える可能性:
「これはあくまで創作であり、現実の誰かを傷つける意図はない」という説明は、意図としては正当化になり得ますが、周囲からすると「不適切な行動や発想を、創作者という肩書きで正当化している」と受け止められる場合があるため、納得を得にくいです。「上司の娘」を引き合いにする等の発言があると、たとえその娘が実在しない架空の存在だったとしても、その設定を生み出した発言者が現実でもそうした対象を見るときに性的関心を持つのではないか、と疑念を抱かれやすくなります。
なるほど、火のないところに煙は立たぬってやつかsta.icon
社会的・文化的コンテキストの考慮不足:
現実社会には「パワハラ」「セクハラ」といった明確な概念が存在し、それらは非常にシビアに取り扱われます。たとえ実在しないキャラクターを題材にした創作であっても、仕事仲間や特定の関係者を想起させる表現は、その人たちから見ると不快であったり脅威に感じられたりする可能性があります。特に職場という場は公的な関係性が重視されるため、フィクションと現実を完全に切り離して受け止めてもらうのは難しく、「さすがに通じない」「言い訳に聞こえる」と判断されやすくなります。
フィクションだからといって何でも表現できるわけではないsta.icon
ここは気をつけないとなぁ
何でも表現していいわけではない、世の中を見ろ
一方で自己顕示欲や成功のために、他の人がリーチしてない部分まで踏み込もうとしてしまう
別にエンタメとか芸術性とか技巧で見せればいいのに、Expression of Raw(生々しさや感情の強さをダイレクトに表現)しようとしてしまう
マジで死ぬぞ、というかタイミング次第ではとうに死んでる気がするw
寿司屋で醤油瓶舐めてるのと同じような構図になってしまっている
そう考えると俺がダサいだけだな
実力がないからEoRに逃げてるだけ
まあEoR出せるのもある種才能ではあるのだけれど
つまり、創作と現実は本来別物ではあるものの、受け手側は必ずしも制作者の意図通り、きれいに線引きして受け止めてくれるわけではないという点が大きいです。特に性や権力差にまつわる話題はセンシティブであり、「創作だから大丈夫」という説明は社会的な常識や関係性に照らし合わせると説得力を欠き、理解や共感を得にくくなります。その結果、「通じないな、それはさすがに」といった反応が出てくるのです。
o1pro.icon
たとえば「残酷な犯罪を扱った小説」を書く作家が、必ずしも犯罪衝動を持っているわけではありません。しかし創作に不慣れな人にとって、強烈な表現は「それを書く人自身がそう考えている」と直結させてしまいがちです。
ここはわかりやすいsta.icon
性欲になった途端、なぜか過敏に反応されるんだよなー
時代の要請と言えばそれまでだが(俺が適応していかないといつか死ぬ
クリエイターとしての創作経験がない人は、フィクション創作過程において当たり前となっている「内面の強い欲求を、一段階抽象化し、創作物として提示する」という行為の価値やメカニズムを理解しにくく、結果的に「フィクション=現実的欲求の直出し」と短絡してしまう傾向があると言えます。
だよなsta.icon
そして題材として身近な人をダシにするのも当然のこと
だってダシにしやすいから。使わない理由がない
Q:クズでは?
ysta.icon
なので世のクリエイター達もたぶん知人からはバッシングだの嫌われだの絶縁だの色々食らってるはず
わかるよ
俺はクソ雑魚素人なのでたかが知れてるけど
sta.iconまとめ
センシティブなネタをダイレクトに表現するのはやめた方がいい
他の見せ方やいじり方で洗練させろ、それができない実力不足を棚に上げて逃げるな
+1kana.icon
当たり前だが世の中の大多数はクリエイターという人種ではない
才能ないんだからおとなしくおとなしくしておけ
具体的には以下の2つのANDを取るな
1: 身近な人をネタにする
2: 1を当人に見られる
たとえば、kana.iconが「インターネットで知りあった30代のおじさん(?)とリアルであって恋におちる」的な創作をスクボ上で発表したとして、staさんはそれをフィクションだと思うのかな? それとも、「俺のことだ!」と思うのかkana.icon
そこで少しでも後者のような気持ちを持ってしまうのであれば、staさんが何かをダシにする創作をする場合も相手がそう思わないとはいいきれないということになる せめて何か別の形に変えたほうがよさそう
わからないsta.icon
それを読み取る能力がない
僕はよく「確率は1/2」「どちらもありえる」と捉えますね
なるほどkana.icon
ASD的な特性によるものなのか、固有のものなのかはわからないけど
俺のことだと思うことにすることは多いので、結果的には後者を持っていることになりますね
上の例であれば、ショタがインターネットで出会った年上女性に会って恋におちる、とする(性別をかえる)とか、「30代非モテ女性がショタ、もしくはイケオジに出会う」というように年代や主客をいじるとかをすると、同じ経験(「インターネットの友達とオフ会した」)から着想したものでも得る印象はぜんぜん違うと思う(kana.iconのオートフィクションだと想定する人は減る) +1sta.icon