バウンティ~愛と反乱の航海~
バウンティ~愛と反乱の航海~
18世紀。イギリスはアフリカ系黒人を奴隷として西インド諸島でサトウキビの栽培の労働者として働かせていた。食料はアメリカ大陸から運んでいた。しかしアメリカで独立運動が起こり、アメリカから食料が全くこなくなった。この食糧不足を解消するため、クック船長から聞いていたパンノキをタヒチからもらうことを考えた。パンノキはタンパク質が高く、薄く焼いて食べればまさにパン!ブラディ船長の下に戦艦バウンティ号でイギリスを出発。最初は大西洋を渡って南米のホーン岬を越える航海を決断。しかし、嵐が吹き荒れ何日も立ち往生する。ついにあきらめ喜望峰からオーストラリアの南を通ってついにタヒチへ到着。そこはまさに南の楽園。女性は上半身裸で踊り、歓迎してくれる。ホーン岬で手間取った分、到着が遅れ、パンノキの盛りを逃してしまった。そのため5ヶ月もの間滞在することになる。この間つらい航海を越えてきた水夫たちが女たちに溺れるのは想像に難しくない。そんな中艦長は遂に出帆を決意。水夫たちは未練を残しながら、旅立った。はずだった・・・・が、遂に反乱が起こり、艦長とその部下を小さいボートに乗せて追放。反乱はもちろんタヒチの楽園生活を続けたいと思った乗組員によるものだとは思うが、映画では更に「ホーン岬へむかう」と決断した館長に対する反発もあった。往路で果たせなかったホーン岬を通れば世界一周を果たせると考えたのだ。しかし乗組員たちはあの悪夢の再来と、拒否。これが反乱の始まりとなった。ここで物語は二つに分かれる。まず追放された艦長たち。このまま遭難することは必至の情勢。しかし艦長はイギリスに進路を取ることを決断。志気を高める。だが気持ちだけでイギリスに着くはずがない。航海は凄惨を極めたことであろう。しかし奇跡的に、オランダ領マレー群島に流れ着き、イギリス本国に生還する。そこで戦艦バウンティ号を失った罪で裁判にかけられるが、乗組員の反乱が認められ、さらにボートでの行動も高く評価され無罪に。映画はここで終わり。後日談としては、かれは再び組織された「パンノキ」獲得作戦の艦長になり今度は成功している。このパンノキを西インド諸島に持っていき、植えてすくすくと育ち、すぐに大きな実を付けた。これで解決と思ったが飢饉はさっぱり収まらない。それもそのはずタヒチの人たちはパンノキだけで生きていたわけではない。豊富な魚と新鮮な他の果物で生きていたのだ。さて、反乱した乗組員たち。とりあえずタヒチに戻る。ここで酋長に反乱があったことを告げ、このままタヒチに戻れば反乱軍として成敗されることを悟った彼らは、島民の男女を数名連れて行きたいことを告げる。酋長は自分の娘を含む若者数人を渡すことに同意。ここでの彼の演技はなかなかだ。もう二度と娘に会えないことを悟った酋長。滂沱する。ここでさらには乗組員は二つに分かれる。当てのない航海に出るよりは、この島に残ると言い出すものと、島に残れば必ず反乱軍として処刑されるから新天地を求めるものに別れる。後日談としては。当時タヒチ島は4つの部族が島にはおり、土地の所有を巡って争いが絶えなかった。そこのこの残った水夫たちが荷担して島の統一に乗り出す。結局統一は成功し、つぎにあの船長がタヒチを訪れたときは、この反乱兵たちはすっかり島の住民として、島野町の直属の部下となっており、成敗するなどもってのほかとなっていた。後にイギリス国王の恩赦が出ることになる。最後はバウンティ号で島をあとにしたものたちだ。長い公開のあと、やっと手頃な無人島を見つける。それがピトケアン島だ。そこで発見されることを恐れ、また絶対に島を出ないことを示すためにバウンティ号を湾で焼き払う。映画はここで終わり。そこで30名ほどの若い男女だけの生活が始まる。タヒチアンの力を借りて住むところを作り、食べ物を集め、栽培した。しかしここでも白人はタヒチアンを労働力としてしか見ていなかった。このためこのグループ内で抗争が起こり、男たちは殺し合った。アメリカの捕鯨船がこの島に訪れたときは、男は白人が1名。女が9名、子供が19人いたと言うことらしい。その後イギリスが恩赦しこの島はイギリス領に。一時は人口過密となるが、今は50人ほどが住む南海の孤島。住民は全てこのときの子孫という。バウンティ号の反乱があった年がなんと1789年!!世界史的には忘れられない年ですね。という様な歴史背景を研究するとおもしろいよ。映画としては☆☆☆。