受け入れ難いことを「受け入れたことにしてみる」
名盤を我慢して聴くということが原体験の感覚。自分の中で割と核になる経験かもしれない。
マジで不快だけど聴き込んだって感じの修行僧スタイルではなくて、なんとなく思い出したときに聞いてみるぐらいの感覚。
苦手な食べ物が出てきたら一回食べてみるみたいなこと。
一旦苦手じゃなかったことにしてみる。
もっと拡張して、「言語化」論でもある。
三宅香帆の『「好き」を言語化する技術』とかも話題になってるところで。(読んでないけど)
自分が感じたことと全くべつの感覚に「一旦置き換えてみる」
なぜ自分はこれが好きなのか、という問いによって「好き」を発見するのではなく、くだらないと感じるものを一旦肯定してみるところから別の感覚と出会う。
「行き先のない言語化」
並行世界的な、if的な行為でもある。「もし・・・」
あくまで「遊び」としてやることにとどめておく必要がある。
これもある種の「適応」的な方法論だな。