現状の音MADを愛する理由とか、「公式音MAD」のこととか
直近のポストのまとめ。
近いうちに文章化したいです。
常に二次創作的であり続けることの大切さ
「著作権侵害」という公的・社会的な大義名分がある以上、僕が好んでいるゼロ年代オタクカルチャーを根底にアングラであり続けている。
何でも白黒つけたがる論者ばかりの今の世の中、「グレー」の立ち位置をキープしていることが尊い。
インターネットは言及しなければグレーという事例が数多くあるのに、わざわざ白黒つけようとして自滅する事例がある。
だからこそ尊重したり、馬鹿にしたり、或いはそのどっちともつかないような風に素材を活用していくらでも好き放題できるわけだし、そうして発展してきた背景がある。
これは、ゼロ年代後半からのニコニコ動画の隆盛の形と全く同じではないだろうか。ある種イリーガルかもしれない枠に捉われない発想を放出する場所としてニコニコ動画は機能してきた側面もある。それはやがてVOCALOIDのように地上に出る価値も獲得し、今に至るという背景もある。
話逸れるんだけど、こうやって好き放題しているのに自らの文化を記号的に盗用されたとか抜かしてマクドナルドに文句言ってるのはさすがにどうかと思っている。元はと言えばオタクが地上に出てきたのが悪いし。需要なきプロモーションなど存在しない。
じゃあ「公式音MAD」はどうなの? 「著作権侵害」という大義名分はないよね?
管見の限りでは、明らかに我々が見ている音MADの文脈とは切り離されているように思う。ここで言う「公式音MAD」とは、いわゆる「音MAD界隈」においてイベントを主催するなど中心的な存在である作者が、企業ないし社会的に知名度のある個人からの依頼により製作する音MADを指す。
過去の類似例については既に自分のブログでも話題にしたが、ここでは一例としてつい最近話題になった【音MAD】盛り上がってるかなで~!【音乃瀬奏】を取り上げる。これについての非界隈の反応が界隈内で話題になった。音MAD界隈にとっては十分モダンな構成や音作りをしているにも拘らず、動画には「古のニコニコ動画っぽい」みたいなコメントが相次いだ。 ここから分かることは、彼らが脳死で経験に基づかない「古のニコニコ動画」を夢想しているにせよ、全く現状の音MADの実態について把握してないことである。
受け手がそうである以上、我々が見ている音MADの文脈とは切り離されているのは明らか。
多分彼らは、うっすらと「古のニコニコ動画=アングラな要素を多分に含んだ闇鍋」みたいな認識を持ち、"実体のないノスタルジー"として消費を行っている。
類似例:「令和やぞ」のようなコメント/エセ「インターネット老人会」etc...。
これらは彼らが物心がついていない、下手すれば生まれていないコンテンツにも関わらず、まるで「当時そこへいたかのような」振る舞いを見せるコミュニケーションとして機能している。ここに"実体のないノスタルジー"が共通する。ある意味、『ぼくのなつやすみ』みたいなものなのかも。
これから先、従来の音MADに比べ、「公式音MAD」はまた別の意義を獲得するはずである。
例えば「公式音MAD」が持つコンテンツの広告塔としての機能は、当たり前かもしれないが従来の音MADにはない。
コスパが求められる現代の世の中で、音MADがその最高効率のものとして一部へ広告として採用されるフシが大いにあるだろう。
こうして新たな意義を獲得するにつれ従来の音MADとの境界線ができ始め、「公式音MAD」は最早「音MAD」とすらも呼ばれない、何か新たな表現形態のスタンダードとして定着する可能性もある。現状、我々はその分水嶺となる観測地点にいるのだ。