「エモい」や「シャバい」などの思考停止系万能言語について
基本的には当人格は忌避していく方針。なお過去ログ見たら普通に使っていた模様。
思考停止は当然、「自分の言葉で表す」という人間らしい行為を放棄している。
特に最近ではこれの極致とも言えるGrokにすべて訊くようなリプライも散見されるが、正直意図もよく分からない。推測するのであれば「考えるのがめんどくさい」からだろう。まあそれは俺とてそうなので一定の理解は示すが……
だとしたら、なぜわざわざAIを代理にしてテクストを吐き出させる行為をするのか。思うに、「考えるのがめんどくさい」という態度には、少なからず「考えたい」という態度が内在している。しかしそれを何らかの理由で放棄し、「考えるのはめんどくさかったけど、『考えたい』を無駄にしないための何かしている感」を出すための依拠としてAIを利用しているのではないか。
思考停止系万能言語には、潜在的に悪口になってしまう危機を孕んでいる。
「エモい」は既に「感受性が単純な消費者を想定し、判を押したように展開される情動を誘う安い言動」みたいな具合で悪口になりつつある(ex.パターン化されたエモ。そして「パターン化されたエモ」が既にネタツイなどによってパターン化されているシミュラークルにも注目するべきだ)。
「シャバい」はここ1年くらい?で急にリバイバルされだした言葉だが、王道を否定する悪口として近い将来悪用される可能性がありそう。
どうでもいい話、批評家サンの中にはやたら王道展開を否定したがる方々がいるが、何故だろうか。軸なしで回るコマなど存在しないだろうに。そうやって「俺こそが真に作品見ていますよ」みたいな態度をとるのは時代遅れも甚だしい。いや、多分ゼロ年代でも俺は死ぬほど嫌ってると思うが。
時代と共に言葉は変遷するのは当たり前だし、俺もそれは寧ろ興味深いものとして容認できる。しかし言葉が単純化してしまうのはどうにも度し難い。
母国語しか話せない俺が言うのもなんだが、日本語という言語は表現技法において最も優れた言語であるように思う。しかしそれを放棄し、AIに頼ってしまうのというのは、ポストモダンに危ぶまれた記号化を更に超越し、ゆくゆくは二進数がごとくバイナリとして機械的に算出しているコミュニケートになってしまうことに他ならない。
そして単純化されればされるほど、言語の使用者からは意識が消滅する。伊藤計劃『ハーモニー』を彷彿とさせるクライシスである。
「思考停止系万能言語」を忌避するなら他の「ダサい」「キモい」やネットスラング全部ダメなのでは?
確かに上記を踏まえるとそういうことにもなりかねないが、問題は適用範囲の広さにあると思う。現状「ダサい」は「かっこ悪いもの」、「キモい」は「気持ち悪いもの」に用途が限定されている。多くのネットスラングもたいていはそう。
ちなみに例外――つまるところ「思考停止系万能言語」に当たるもの――には「チー牛」や「冷笑」などがあり、やはりと言うべきか、露悪的なものに限られている。これらがプラスの意味を含んだテクストで使われることは、悉皆ないはずである。
「エモい」「シャバい」は上述の通り適用範囲が広い。単に「感情が動く」という変化だけで「エモい」の適用範囲になるばかりか、とりあえず音楽を聴いてエモい、作品を見てエモい、なんて言ってみたりもする。「シャバい」も多分同様の使われ方をされている。
この特有の適用範囲の広さこそが、「思考停止」で「万能」になってしまう言語だと言えよう。
#思考の掃き溜め