軽やかに歳を重ねたい
柳沢慎吾62歳だそうで、さっきアド街に出てた井上順もだけど、歳取っても威厳がないというか軽さを保ち続けてる人たちの凄さが自分が歳を取るとともに本当によくわかってくる
歳取っても軽い人ってそう見られないがちだけど、強い意志を持ってないと歳取ってもそうはいられないと思う
歳取っても威厳を持たないぞ、という強い意志
自分が威厳を帯びるところはあまり想像がつかないものの、生きてきた時間が長くなっていくと「重」「固」の雰囲気が強まっていく感触はあるのだよな。そんで、自分は「重」「固」になりたくないと願っていて、なんとかして「軽」「柔」な成分を増やしながら生きていきたいと願っている。選択に迷ったら「軽」「柔」な方を選んでいきたいな。 愛の楽曲工房のエピソード 218 でもそんな話があった。どんなふうに歳を取っていきたいか。 https://open.spotify.com/episode/3MWsOCkWjhOr99v01Wcdv1
数十年後の日本で「重」「固」な高齢男性になっていたら、今より人手不足が深刻になっているとして、もう誰にも相手にされないのでは…?という恐怖があるよな。たまたま自分よりあとに生まれてきた人に対して高圧的な態度を取ったりしませんように…。ゴキゲンなジジイになっていきたい。もうちょっと本音をいうと、ぼくには「かわいいおばあちゃんになりたい」って気持ちがある。
@june29: 「やさしいおばあちゃん」と聞いて思い浮かべる人物像ってのが多くの人の心の中にあると思うのですが、ぼくは大きくなったらそういう大人になりたいですね あー、今わかったかもしれない。ぼくの中の「おじいちゃん像」にあまりグッドなイメージが伴っていないんだわ。母方の祖父、ずっとお酒を飲んでいるような人で、ぼくの父親に向かってひどい言葉を投げつけることがあったから、それが自分の中の「おじいちゃん像」のベースになっていそう。一方で「おばあちゃん像」にはグッドなイメージしかない。母方の祖母も父方の祖母も、いつだってやさしくてあったかいもんな。だからぼくは「おばあちゃんになりたい」って思っているんだろう。ちょっとしたロールモデルにしているのかもしれない。
これを書いている現実のぼくは 40 歳男性ということで、自分が帯びてしまう悪いおじさん性をなるべく排除したいと思っていて、そういうときにテキスト・コミュニケーションだと「あらら」とか「まあ!」とか「◯◯かしら?」のような、ぼくが「柔」と思っている表現をよく用いるのだけれど、これも、ぼくの祖母たちが元ネタになっているかもね!? Ossan.fm のエピソード 286 では、chris4403 さんが父親さんのことを反面教師にしている的な話があって、ぼくは母方の祖父に対して同種のことを感じているかもなあ、と思った。 https://open.spotify.com/episode/7moo9ZFSOJKOZVl6plCFPX