自分の好きな色で塗りつぶしてしまっているかも
ちょっと前に「お打ち合わせ」的な場があって、穏やかで和やかで、少なくともぼくは「発言しやすい雰囲気だなあ」と感じていたので、ありがたい時間だった。
解散したあとに「和やかな場で、話しやすかったです!ありがとうございました〜」と伝えたら「和やかだったのは、じゅんぼくさんのお人柄のおかげです!」的なニュアンスのことを返してくださって、お世辞かな〜という気持ちとすなおに受け止めてよろこぶ気持ちの両方が生じた。こういうときは、すなおに受け止めておくのが吉ってことを経験的に知っている。
ありがたい言葉を真に受けることにしてみると「じゅんぼくがいる場は、和やかになる」という成分が検出されるわけで、思い当たることはあるよな。なんだったら「ぜったいに和やかにしてやるぜ」くらいの意気込みで、いろんな場に参加しているところがある。ぼくが参加させてもらう場ってのは、だいたいが創造的な意見が求められるような場なので、空気が堅苦しいとディスアドバンテージが生じてしまう。参加者みんながのびのびと萎縮せずに自由闊達に発言できる状況をつくらないと、場の目的を達成できなくなる。なので、自分がこれまでに見てきた「雰囲気のよい場」の要素を満たすべく、自分の言動を選択して場に強めにはたらきかけていく。
自分はいつも、自分の好きな色で場をぬりつぶそうとしている、と言えそうだ。
「先ほどはありがとうございました!和やかな場で、楽しかったです!」
(次からもぜったいに「和やか」で頼むよ、そうじゃないのは許さないからな)
それが場の目的に合っていたり、自分以外の人々にとっても望ましい色であれば、ぼくの強行的な姿勢が歓迎されることもあるだろう。とはいえ、かなり強めに色を出そうとしているのだとしたら、まずはそのことを自覚しておいた方がいいだろうと思ったのだった。けっこう過激なふるまいをしているよなあ。
たとえば今日からの 20 年、を考えてみると。場に色を塗っていく行動傾向は残したまま、ぼくの価値観が時代に取り残されるようなことになっていけば、やたら古い考え方で場に介入してくる高齢男性が現出することになるよな。これはだいぶ怖い。少しずつでも、場に強くはたらきかける言動を弱めていく、などの方針を持って過ごしていくといいのかもね。
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