手段を信じること、結果を把握すること
歯科衛生士さんに診てもらう日々の中で気付いたこと。 ぼくはさぼらずに歯みがきをしてはきたものの、歯みがきのあとで口内でどういう状態になればオッケーなのか、恥ずかしながらあまり把握できないまま 30 歳を過ぎるまで生きてきてしまった。もっと早くに知りたかったなあ、と思いつつ、40 歳になる前に知れたのだから人生の残りの期間はうまくやれるのだと思うとうれしい。 歯科衛生士さんの診察では「ここはよい状態」「ここはよくない状態」と教えてもらえるし、どういった部位をどういった観点でチェックしているのかも、見ていればわかる。何度か診察を受けているうちに、ぼくは歯みがき後にある程度はセルフで状態をチェックできるようになっていった。必要なのは「結果を把握すること」だったのだ。 ダイエットの例でいうと、やせるために「運動をする」「野菜を採る」という手段は知っていながら、体重を計ることをしていない。そんな状態だった。 「歯みがき」というのは手段。幼少期から「歯みがきをしましょう」と教わっていたので、どうやら歯みがきは大事らしい、さぼってはいけないらしい、ということはわかっていた。わかっていたというか、繰り返しそう聞かされていたのでそういうものだと思っていた、という感じだろうか。ただこれは「丸暗記」タイプの知識で、なぜ大事なのかに意識が向いていなかったので、結果に対して無頓着がちになっていた。考えてみると、幼少期に教わることは手段に寄りがちかもしれない。