情報が共有されなくなる悪循環
「やってよかったな〜」という結果に至った行動は強化されるし「やらなきゃよかったな…」となった行動は減っていく。これを基本的な考え方として。
情報の発信者が「こんなことなら、情報を共有しなきゃよかった」と思っちゃうような受信者の態度が続くと、そりゃあ共有されなくなっていくでしょうよ、と思う。
「情報が共有されなくなる悪循環」に陥っている活動体において、状況を打破するには「情報を共有してよかった」「共有してもらえてよかった」という体験をひとつずつ積み上げていくしかないだろう。 ぼくは自分が関わるいくつかの活動体において、発信者になることも受信者になることもある。ひとりのプレイヤーとして意識していることはこんな感じかねぇ。
発信者としてふるまうとき
受信者にどういった受け止め方をしてほしいかを率直に伝えることもある
受信者としてふるまうとき
「こいつに共有してよかったな」という着地を目指して言動を選ぶ
思うことがあってフィードバックするにしても、建設的な態度を維持する
悪循環ってのはどういうことかというと、発信者が「どうせあいつらにこれを伝えたらギャーギャーと騒ぐじゃろう」「このまま伝えるんじゃなくて、わたしたちできれいにまとめてから共有しましょう」みたいに受信者を信じることなく子ども扱いすることで、稚拙な受け止め方が続く方向にイネーブリングしてしまったり。受信者は受信者で、ちょっとでも不安を感じたらギャーギャーと騒いでしまったり、攻撃的な反応を見せてしまったり。 負の連鎖を断ち切るには、発信者も受信者もよりよい状態を信じて強い気持ちで言動を変えていくことになる。 逆に「好循環」な状況ってのもあるよね。ネガティブな情報もしっかりと共有されて、受け取る側もいい感じに応じる。そういうことが当たり前に繰り返される組織ならば、新しく入ってきた人も「なるほど、こうやって受け止めればいいんだな」と理解し、実践していけるようになる。子ども扱いの逆で、大人扱いってところかね。 hr.icon